コンビナトリアル・ケミストリー

 

  野水さんの研究分野は有機化学のペプチド化学である。

  「現在の私の研究どんどんバイオロジーに向かっています。化学物質そのものの研究から、化学物質を感じる動物細胞表面のレセプター、細胞表面のレセプターから細胞内シ
グナル、細胞内シグナルから核、という流れで研究してきました。つまり、ある化学物質が分子レベルでどういう生命現象にどうかかわっでいるかという研究です」、という。

 「実験法で何か新しい動きはあります?」、と聞いてみた。

 「コンビナトリアル・ケミストリー」、と即座に答えてくれた。

 しかし、「コンビナト……」、がよくわからない。

 「ライブラリーですよ。化学的ライブラリーのことですよ。いろいろな化学物質をランダムに合成して、生理作用のあるペプチドを探す。となると、生理作用をどうアッセイす
るかが問題になってくるんです。酵素や抗体を使えば、特定の活性ペプチドを探しますが、私は細胞を使ってます。細胞は細胞表面にレセプターがたくさんあって、細胞自身が
1つのライブラリ一なんです。ライブラリー対ライブラリーでは何もわからないので、細胞を決め、ペプチドの方を一つ一つ変えていくんです。細胞接着タンパク質のペプチド
を1000個つくって、結果的には活性のある新しいペプチドが30個、いやいや20個かな、20個見つけました。もっとも、バイオサイエンスの動向といっでも、私かやっ
てるのはフアツショナブルじゃないから。アハハハ」

 「NIHも変化していますよ、アクティビティは落ちているし、研究費は減ってい
る。外国人排斥の方向ですしね」と別の話題に移ったところで、待っていた友人が図書室にあらわれた。

 翌日、また野水さんにお会いした。

 写真をとりたいというと、実験室に連れていってくれた。実験室の棚に所狭しと並べた数百個のペプチドを見せてくれた。そのペプチドを1つ1つ細胞に作用させ、活性があ
るかないか、実験したという。その結果を表にしたら、A4紙で2メートルぐらいの長さになったという。そのご自慢の表を手にした野水さんをカメラにおさめた。

NIHのカラオケ大会

 

 「私はソーシャルワーカーですよJ


 NH30号館4階の図書室で友人を待っていたら、初対面の野水基義さんが話しかけてきた。小太りで二コニコした気のよさそうな人である。あごのあたりに少し無精ヒゲをは
やしている。

 「NIHにいる日本人研究者の一番大きな団体はゴルフクラブですけど、「漁業組合」もいいですよ。年1回、2泊3日で釣りに出かけるんです。昨年はすごかったですよ。ちょ、
ちょっと待っててください」、といって野水さんは写真を持ってきた。

 「このヒラメ、すごいでしょう。54~55 cmはありましたよ。これは一番デ力かったんですけど。1人当たりヒラメを10匹ぐらい釣りましたね。クロッカーなんか入れ食いで
すよ30 cmぐらいのが、1人100匹以上釣れましたね」

 「クロッカーって、日本語ではなんていう魚」

 「ウーン、日本語は知らないけど、ジャイアントっていう近所のスーパーマーケットで売ってますよ。一番安い魚ですよ30 cmぐらいで、刺身にするとアジのタタキみたいでお
いしいんです。少し魚臭いんだけど」

 「あー、こっちの写真。これは釣れない年でした。雨が降って寒くて、レストランでメシ食って帰ってきましたよ。写真のこの人、『NIHのマドンナ』って呼んでたけど、な
んていう名前だったかナー」。写真にはニッコリと微笑んだ若い美しい女性が写っている

 「それに“JALカラオケ大会"があるんですよ。大使館チーム、プレスチーム、ファイナンスチーム、商工会チームとか8チームぐらいあって、ワシントンDCに住んでいる日本人
が700人ぐらい集まるんです。昨年は、司会を長野智子さん(アナウンサー・在ニューヨーク)に頼んで来てもらったんですよ。なんとウチのカミさんが優勝したんですけどね」

 前置きが長くなってしまった。京都大学薬学系大学院・キリンビール・NIH国立癌研究所- NIH国立歯・顔面研究所と移籍し、そして、あと2週間でカナダ・モントリオール
のバイオテクノロジー研究所に主任研究員として移籍するという野水基義さんに研究の動向を伺った。

不肖ハクラク著より

 

成功したいなら1週間に70~80時間働く

 


 スーザン夫人が炒めてくれた大きなエビを食べながら、「どんな調査研究をしているの?」、とケンが聞く。

 「ウ~ン」自分でもまだよくつかめていない。そのころは暗中模索だったのである。

 話題がポスドクの研究姿勢に移っていった。
 「そういえば、あるころから、日本人のポスドクが土日にパタリと来なくなった」、とケン。

 「日本でも,土日に大学に行くと,学生・院生はいなくて中年の教官ばかりですよ」、と 。

 「土曜の午前中に研究室を巡回してだけど、アイラが帰るとポスドクも帰っちゃったよ)、と笑いながらケンが昔話をする。
「ヨシ・シュレシンジャーって知ってる?彼はすごい手を使うんだ。日曜日には、研究室にピザをたくさん用意するんだってさ」。クックックとケンが笑う。

 「ペニー・ガイガーはもっとすごいんだ。ポスドクとディスカションする時間を、夜の10時とか11眄とかに指定しちゃうんだってさ」、クックック。

 どこまでが冗談で、どこまでが本当の話か、よくわからない ケンはおむしろい話が大好きだ。

 [この間、ボクとかビンダは1週間に70時間ぐらいかな、ヨシは78時間ぐらいかな、そのくらい働くってポスドクに言ったら、ポスドクは目を丸くしていたよ]、とケン。

 「もっとも、賢ければ1週間に48時間橄けばいいんだと思うよ」、とケンは続ける。

 「そういえば、学部長になったフレツド・マックスフィールドは、ポスドク時代1週間に48時間しか働かなかった、という話ね。とてもすばらしいじゃない」とスーザン夫人

 「いやいや、ポスドクが終わってから学部長になるまでは、1週間に80時間ぐらい働いたんだってさ」、とケン、

 「まー、がっかり」、とスーザン夫人。


*動向:最近の若い研究者は土日および夜は働かない

ポスドクの年収

 

 ケンの住むベセスダはワシントンD.C.の中心から地下鉄で30分ぐらいのところにある 日本でいえば、杉並区あたりに住んでいることになる。東京とはどえらい差である。
ワシントンDC郊外は驚くほど緑が多い。野生動物もまだまだたくさん棲んでいるのだ。

 室内に戻って、ケンは、くつろいだ雰囲気で次のように話し始めた、

 「日本の学術振興会がNIHに援助をしてくれる制度は本当にいい」、とケン。

 「2年前から始まったポスドク(博士号取得後の2~4年の研究員)制度ですね」、と 。

 「そうだ。 NIHに毎年約160人のポスドクが日本からやって来るけど、その滞在費と研究費は全部アメリカ政府が出しているんだ。今度、日本の学術振興会が日本人研究者を
16人とか30人とかサポートするようになったんだよ。この人数は、結構な数だよ。これからも続けてくれるっていうけど、1年間の滞在費として、1人につき3万4000
ドル払っているから、30人だと100万ドルだね。結構大きな支援だね]、と日本政府の援助をいいことだと評価している。

 

バイオ研究の倫理

 

 実験動物を使わざるをえない状況の「バイオ」研究者と大学院生、そして、動物実習で解剖をしたりさせられたりする学部生は、動物実験をどう思っているのであろうか。動
物実験の倫理についての教育を一切受けてこなかった。それで、どう対処していいかわからない自分と直面してしよう。学部生・院生にどう指導したらいいのだろうかと悩んで
しまう、自分は主犯になってしまうのだろうか?と不安になる。当時の法律や社会常識では許されても、10年後20年後に責任を問われた事件は歴史上山のようにある。だか
ら、今現在の状況下で違法でなくても、自分なりに納得しておきたい。

  動物実験を必要とする自分の研究と、できれば動物を殺傷したくない個人感覚の板ばさみになっている。そして、動物を殺傷したくない個人感覚は歳とともに増大していて
、最近は、毛皮製品よりも石油化学製品を求め、動物園にいっても見世物の動物に複雑な気持ちになり、食生活上は肉や魚を食べない菜食主義者の方向に向いつつある。

 先日、拙宅に滞在したアメリカ人男性アンドレイは、アメリカの病院の集中治療室で働く正看護人である。毎日、人間の生と死に直面している職場である。そのアンドレイが
「サーカスの動物をどう思うか」と問いかけてきた。また、もっていた『ウィーガン』14日絶対菜食主義者)という本を熱心に読んでいた。

  ささいな「バイオ」研究者である。そういうささいな「バイオ」研究者でも、現代では、「バイオ」研究の倫理を気にせざるをえない。国際社会では、さまざまな価値観・
文化観・宗教観に基づいた倫理やルールがますます強く要求されている時代である。「バイオ」研究者は、そういう倫理問題も、自分の研究の一部と思って対応していかないと
、多量に使った実験動物が、いずれ将来、自分の首を絞めるかもしれない。

ケンとともに玄関のドアを開けて家の中に入ると、大きな猫がわれわれを出迎えてくれた。ケンは猫にジャンプさせたりして遊んであげた後、私とパートナーのケイを誘って、
スーザン夫人とともに庭に出た。

 「鹿(もちろん野生)が出てきて庭に植えた花を食べて困るんです」とスーザン夫人がいう。「オポッサムもウサギもいます。牛ツネを見たこともあります」ともいう。

不肖ハクラク著より

実験動物の無益な殺生

 

 大学院生のとき筋肉タンパク質を必要とした折りに、指導教官の指示に従って、生きたウサギを暴れないように押さえつけ、大きな包丁で断頭し、新鮮な筋肉を取り出したこ
とがある。精神的にはかなりのストレスであった。その後、教官として学生を指導する立場になってからは、ウサギに麻酔し成仏してもらっている。

  マウスやラット舳実験で使ってきた。海産動物のウニ、ヒトデは大量に使ったことがある。目に見えないほど小さい大腸菌サルモネラ菌、ゾウリムシも大量に使った、ヒ
トの血液、ブタやウシの血液も多量に使った。

  そういう実験を通して、人々の健康に役立つ科学知識を得ようとした。しかし、人間社会に役に立っていない論文が、一般的にいえば、平均して半分はある。私の論文では
もっと多いかもしれない。となると、このごろは、自分はプラスマイナスでマイナス、つより社会に役立つ以上に「無益な殺生」をしてきたかもしれないと思うこともある。

  20年間化学薬品会社に勤務し、10年前に退社した河野修一郎は、動物実験は「本当に必要なのか?」と問うている。そして、「動物実験に問題あり」と指摘している。
それに対して、東京大学医学部元教授で現在、理化学研究所脳科学総合センター所長の伊藤正男が「バイオ」研究者サイドから反論をしている11)。その内容はおいとくとして
、「バイオ」研究者としてみたとき、研究者である伊藤正男が、自分の意見を表明していてエライと思った アメリカでは当事者が発言するのは当たり前だけど、日本では少な
い。こういう議論が増えれば日本もよくなっていくと感じた。

 そう思ってアメリカ滞在中に『動物福祉団体要覧』という本を調べてみた。すると、アメリカだけで動物福祉団体が141団体もある その1つに「アメリカ動物虐待防止協
会」(American Society for the Protection of Cruelty to Animal)というのがある。本部事務所はニューヨークにある。スタッフは220人、会員は1万5千人もいるという
。どうやらこの協会が世界最大らしい。

 動物福祉団体がアメリカに次いで多い国は英国で97団体あった。そして、ずっと見ていくと、日本には1回もリストされていないことに気がついた。これでは。日本は国際
的に問題視されるわけである。

 そして、さらにしつこく見ていくと、あ、ありました。「日本動物福祉協会」という「日本」という国名を冠した団体がありました。ただし、この団体の本部事務所は英国の
ロンドンにある。ど、どうなっているんでしょう

英文論文の大半は一度も引用されない

 

    いままで主に物理学者の唱える研究倫理についてふれてきたが、「バイオ」の研究倫理でも実はかなり深刻な問題が表明されている。[バイオ]の実験研究をする際の
倫理について最近いくつもの著書が出版された。

 しかし、全体を論じることはしないで、身近なことを2つ取り上げたい。


どんな論文でも書かないよりはマシか?


 「研究費をなるべくたくさんもらって、予算は全部使い、なるべくたくさんの論文を書く」ことが、研究者の努力目標であり善である。このような絶対的な価値観が日本の[
バイオ]研究者を支配している。


 一方、友人であるアメリカ人研究者は、研究費はアメリカ国民の税金なので残れば残し、論文も自分が納得できるものしか発表しない。このアメリカ人と共同研究していた時
期がある そして、その友人から試料を送ってもらったり、友人が研究アイデアにも貢献してくれたので、友情のしるしもあって、ある時、論文の共著者になってほしいと伝え
た。ところが驚いたことに友人は、「自分を著者にしないでください」といってきた。論文への貢献度は大きくないし、自分が納得した研究ではないと言う。

 世界中で、毎年58万報の英文論文が出版される。ところが、ある調査によると、その半分は一度も引用されない、つまり研究の役に全く立っていないと考えられる。研究の
役に立っていないことは、即、人間社会の役に立っていないということである。

 となると、「どんな論文でも書かないよりはマシ」であるとか、「どんな論文も社会的善」、とはいえない。役に立たない論文を書いた場合、その研究に使った研究費と時間
のムダ、論文を発表するためのお金と時間のムダ、発表した論文の情報公害ともいうべき害、などを考えなくてもいいのか?という気がしてくる。研究者の間では「Publish or
Perish (論文を発表しないと罰がある)」がいままでのルールであったが、これからはr Publish and Perish (役に立たない論文を発表すると罰がある)」ことになっていくだ
ろう。また、研究費をもらっておいて研究成果を出さない(出せない)のも犯罪的ではないだろうか?さらにいうと、結果的に社会に役立たないそういう研究プロジェクトに研
究費を配分した省庁幹部と審査員は、返済される見込みの薄い企業に融資した銀行幹部のような[結果責任]を問われないのだろうか?このような責任を考えていくと、バイオ
研究者としてはいささか気が滅入る。しかし、いずれ考えなければならない大きな問題である。

不肖ハクラク著より