否定は「ンンノウー」
かつて私の教え子であった,ニューヨーク駐在員(銀行マン)に幼稚園児がいる。ニューヨーク勤務になってから3年経った後の子供の英会話能力はどのていどだろうかと考え,時々英
語で話しかける。「君は,家では両親と日本語で話をしているそうだが,日本語と英語とではどっちが話しやすい」
「英語」
「どうして」
「だってやさしいんだもの」
「いやそうは思わない。英語は日本人にとってむずかしい」
「いや,やさしいんだってば」
ここまでの会話を英訳することは受験勉強をやってきた日本人にとり簡単だが,問題は最後の「いや,やさしいんだってば」から受験勉強経験者は大きく差をつけられる。
“l don't think so. English is difficult for the Japanese.”
“It IS easv.”
そう,このISにアクセントが置かれるだけで否定されたのである。「いやそうじゃない,英語は日本人にとってやさしいってば」というニュアンスが,僅か3語で収まるのものリズム
が効いているからである。
シドニーの日本人学校で, 6, 7歳。のお嬢さん(駐在3年の商社マンの娘さん)に話しかけた。
“Do you like Enがish?”(英語好き)
“Yes.” (はい)
“Do you like math?” (算数は)
“No.” (きらい)
“Don't you?” (きらいって?)
“... Nnno.” (きらい)
これも最後で勝負がついた。
「きらいですか」といえば,日本人は「はい,きらいです」と答えるので,受験英語組はすべて Yes,と答え,あとの答えに窮する。
さすがYes, I don't like math. ではおかしい,やはりnoだろうと考え, I'm sorry. No, I don't. と急遽No.と変えてもぎこちない。
そのお嬢さんは,ンンノウーと首を横に振り,まゆをひそめた。完全に英語が身についている。先程まできれいな日本語で話をしていたが,私が急に英語に切り換えてもこのようにナ
チュラルに話をしている。
海外で数年過ごせば,すぐにネイティヴのリズムが身につくのである。
悪いことに,「それ本当?」というっもりで,子供にIs it true? といって, Really?でいいのよパパ,と笑われ,カーツときたとするともう,子供とも英語で話ができなくなる。会社
でビジネスをする時しか英語が使えないとなっては,プライドも捨て,白紙の状態で近所の子供たちと英語でコミュニケートしている子供にかなうはずがない。苦労していったん覚えた
英語は忘れたくないという人情と意地が邪魔する。