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パトスとロゴス

 

「パトス」:いくらethosがあっても聴衆の情熱を喚起させ,そのエネルギーを特定の方向に向けさせるには, pathosという動機づけのファクターが必要となる。

 カリスマ的人物とは, ethosとpathosを兼ねそなえている人のことであろう。同じカリスマといっても 日本では前者が,アメリカでは後者が重視される。

 日本でのスピーすで,あまりpathosを川いるとアクの強い人物として警戒されるが,攻撃的な人間から成り立つアメリカでは,いたって自然な情熱の発露とみなされる。私も英語でス
ピーチをすると不思議にpathosのメーターを上げてしまう。

 英語という言葉がそうさせるのか,英語で説得する時は声も大きくなり,ゼスすヤーも賑やかになり,言葉もインフレ化する。最近では,私の日本語も英語のスピーすの影響を受け始
め,やや過激になり過ぎるきらいがある。

 「ロゴス」:ロジックの組み立てであるが,これが最後にくる。説得する上でなぜ,ロゴスが最後なのか。もし,最初からethosが確立されず, pathosという情が伝わらなければ,聴衆
は聞く耳すら持だなくなり,したがってlogosという「知」の糸はプツリと切れてしまうからだ。

 「知」に働けば角が立ち,「情」に掉させば湟される,と言われるようにlogosもpathosも行き過ぎは危険である。

 たとえば, pathosだけで「自由のため」「正義のため」「平和のため」「名誉のため」とこぶしをあげて眸んで払拍手・喝采する人はスピーカーが人間的に好きであるか,特定の政治組
織に与しているかのいすれかであるという場合が多い。「平和のため」といってもそれを達成する方法はいくらでもある。

 イスラエルの難民キャンプにいるアラブ人と話をしたら,彼らも自分達の土地(パレスチナ)が奪われたという怨念からいかなる理想論にも耳を傾ける気持はないし,ポーランドで会
ったリビアの兵隊は,世界平和を実現するにはレーガン大統領を殺すしかない,と断言し,「テロリストを輸出する国の意見など信用できぬ」という私とは平行線をたどるばかりで,
logosまで至らない。

 だが,聴衆の中には,このように,特定の人間や特定の政党などに関し思想が確立されていない人が多いはずだ。彼らはpathosだけでは動かされない。右派は「心が大切」と叫び,左
派も「心を取り戻す」ことを標榜するなら,それは中立の聴衆にとり,イデオロギーの混乱でしかなく,具体的な方法論を設定して,建設的議論(debateに関しては後述)を重ね,彼らを
啓蒙し,自由な選択を与える義務がスピーカーに生じる。ここでlogosが必要になってくる。emotion (情)だけでは人は動かないし, reason (知)だけでも人は動かない。This car will
lower your costs. よりも, This car will significantly lower your costs. とsignmcant]y(ぐっと)という一言を加えるだけで,顧客に対し,「情的に」訴えるは
より大きくなる。競合相手がいない場合は,この方が顧客のハートにアピールしやすい。だが次の論理的三段論法(!.ogical syllogism)を用いたセールス・トークの方がより具体的で「 知的に」説得力がある。

 1. Every driver likes a car that's economical on gas。

 2. You're a driver。

 3. Therefore, you want a car that's economical on gas. This car delivers 25 miles to the gallon。

 こんな長ったらしい文句のきらいな人は, This car

『上級をめざす英会話』松本道弘著より