敵を知る

 

「敵を知り,己れを知る」ことの重要性は,戦略家孫すが述べているが,スピーチの兵法にもいえることである。スピーカーが,潜在的敵である聴衆との相対的力関係を知らなければ,
ethosは確立されないのである。 スピーすをする前に,自分の強さと弱さをクールに分析し,自分とは何かというwhoを決め,そこから,1)どのようなテーマで(wht),2)どんな
目的で(why),3)どんな相すに(whom),4)どこで(where),5)いつ(when),6)どのように(how),聴衆に語りかけるのかという戦略が必要になってくる。

 一種の危険管理ともいえる。

 riskをmanageする方法の第一は,聴衆分析である。 話し手と聞き手を敵対関係で捉えるのが好きなアメリカ人は逆に,「観衆は味方だ」と読者に説得するだろう。これは,本
来敵である聴衆を意識し過ぎる結果生じるリスク(たとえば舞台で早とちりしたり,セリフを忘れたりする,stage fright など)を最小限に抑えるために用いる心理的戦術であって,結
局は私と同じことを言っているのである。日本のように,スピーチで失敗して払 ポップコーンが投げられることもなければ,引っ込めとやじられたり、

 ブーブーと不満を意思表示されることのない日本では,聴衆は全員味方である。有名大学の大講堂では300名の学生の前で20年間使ってきた,同じノートを読み上げている老教授に対し
て,質問をする機会も与えられず,不満も述べられない学生もすべて味方である。

 このような和と我慢の文化ではどうしてもスピーカーは甘やかされてしまう。だからこそ,敢えて観衆を敵だと思え,という私の過激とも思える発言が活きてくるのである。私がアメ
リカでスピーチをすれば,多分「観衆は味方だ」といった逆の内容のスピーチをするだろう。

 これもその時その場の聴衆の空気によっても左右されるであろうから,同じスピーチがどこでもいつでもだれに対しても通じるということはまず絶対といっていいほどない。。

 私が日本で講演する場合は一最近英語でより日本語でのスピーチが多くなっているが一通常,その土地の箔神分析(psychoanalysis)から始める。関西か関東か東北か。それにより,ユ
ーモアのセンスも変える。|判車で受けるジョークが必ずしも関西では「上品すぎる」「軽すぎる」という理由で受けることがないのと同様,関西のdirty jokesは関東ではtoo much (え
げつない)というカドでひんしゅくを買ったりするなど,笑いの基準も地方により違ってくる。東北では,話のペースを落し,内容を重くし,余韻を効かせる。料理の時の塩加減のよう
なものである。

『上級をめざす英会話』松本道弘著より