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武器としてのユーモア

 

最初が肝心

 敵(観衆)が倒せない,あるいは殺られると考えると,その場を切り抜ける方法をとっさに考えるべきである。

 その場を切り抜けることをto manage the situationというが, jokeは, situation management の手段としてよく用いられる。

 即興性が成功の鍵となる関西ではリスクも多いだけに,関西の芸能人は危機(crisis)をmanageする術にも長けている。

 「……これあんまり受けなかったな。こんどは受けまっせ……一晩考えたんだ」

 「お前のギャグ,全然おもろない。だれも笑ろたはれへんやろ。漫才ブームも終りや。これ,お前の責任や」

 このように,これでもかこれでもかと羞恥心という着物を脱いでいく。

 古典落語にはリスクはない。「ガマの油」で一生食べていける。

 漫才は瞬間のリスク芸術だ。流行に乗らなければ生きていけない。それだけに聴衆を喜ばせるサービス精神に関しては関西の方が上である。

 前者はユーモアを指向し,後者はジョークやギャグを指向する。

 舞台芸術でいえば,イギリスは関東的で,アメリカは関西的である。

 ジ∃-クの好きなアメリカ人の笑いは浅い。

 だが,アメリカ人を対象としたスピーチには必ずジョークを入れる。

 ポーランド州立大学で「腹芸」というテーマで講演を頼まれた時のことである。司会者である教授が「松本さんは,日本で生まれ,日本で育たれた。アメリカにも日本人は沢山いらっしゃいますが,どうもアメリカ人の価値観を学び,アメリカの文化に汚染された人が多く,今日の日本の姿とその文化の真髄を知ることはできません。ところが松本さんは,メモなしでしゃべれるパブリック・スピーカーで……」と心温まる紹介を長々として下さった。

 教授やMBA候補生など数百人の聴講者の期待している視線が私に集中した時は,座禅を済ませたあとの私もさすが緊張した。最初の言葉が,たしかTrue, I'm notcontaminated. (確かに,私は汚染されていません)であった。その時,聴衆はドッと笑った。あとはラクだ。

 最初が肝心である。

 プリンストン大学で政治家の卵といわれるディベート・クラブの連中の前で[|本文化に関する講演を頼まれた時も, Debate is a very effective means of develop〕ing a strong sense of communism …l mean, comradeship.といって聴衆を爆笑の渦に巻き込んだ。

 「ディベート共産主義の意識を育てる上で役立つ……? いや,失礼,友情の心でした」

 日本語に訳しては,おもしろくないが, communismとcomradeshipをわざと使い間違えたところにおもしろさがある。緊張を高め,弛緩でbreakするというアメリカ文化固有のリズムを利用したジョークである。

 だがこんなジョークをしょっちゅう使っていると「下手なジョークはもうやめてくれ」“Give me a break” と言われる。 どちらにしてもbreakがなければアメリカのリズムに合わなくなり,ノイローゼになる。

 だがジョークは,常にリスクが伴う。むしろ日本人には中途半端なジョークは勧められない。あとが続かなくなると困るからだ。

 といって笑わせた日本人スピーカーもいるが,それも一種のジョークであり,外国人にDo you speak Eng-lish?と尋ねられ, No, I can't speak English.と流暢に英語で答えているのと同じような矛盾を犯すことになり,不誠実な印象を与えかねないので,どうもいただけない。

『上級をめざす英会話』松本道弘著より