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スピーチを組み立てる

 

 日本人の英語のスピーすを聞いていると,何を言いたいのかよくわからないという外国人がいる。それは日本人のスピーすはおしなべてタコのような形になっていて,魚のような脊椎とそれを支える骨格がないからであろう。

 英語のスピーチには,必ず太いバックボーンがあるのである。

 そのバックボーンを支える骨格は,いわば積木ブロックである。

 バックボーンという鉄筋がなければコンクリートのブロックを積み重ねることはできない。

 彼のFour-Card System によれば,4枚のカードには

 1. Speech Statement -≫■ Audience
 2. Introduction
 3. Body
 4. Conclusion

のラペルを貼らせることから始まる。

 初めと,真中と,終りという3つのパーツに分けるというのはアリストテレス以来のスピーチの伝統であり,私もこのパターンを踏襲している。ただスナイダー氏のやり方は,まずカードにし,1枚目のカードにスピーチの目的と対象となるべき聴衆とスピーチのパターン(例えば,問題/解決というふうに)を書き止めておいて,そこから調査を始め,あとで加えていくというものである。いいジョークの種があれば,加えておくのもよい。

 さて,2枚目のカードはIntroduction (紹介)である。

 なにを話したいのか,なぜそのことを話すのか,ここで明確にしておくことである。ここでは,聴衆に質問をして反応を探った。突拍すもないことを発表して聴衆の関心を集めたり, OHPなどの視聴覚用の器材を用いたり工夫をこらす。

 プリンストン大でスピーチをする時は,日本から買っていった水戸の納豆を見せ,「これは日本人の好物だ。みなさんも一口ずつ口に入れてはどうか」と会場に回したものだ。

 複雑な表情をしながら食べている学生の顔を分析しながら,「この納豆が食えないようでは粘着性の高い日本の社会がわからない。文化人類学者は,これをhigh-context culture だという。 このネバネバの糸が義理人情というしがらみである。このような風通しの悪い社会ではあなた方の得意なディベートは存在しない。 このように,相手をこちらのペースに誘い込んで,パラケイ論をぶったのであるが,これは即興のスピーチではなく,計算されたものである。スナイダー氏のintro-duction card を私が作るなら,水戸の納豆を入れると書いておくだろう。

 3枚目のカードはBody(本文)である。「今から説明する」と約束した限り,その約束を果さればならない。それが3枚メ目のカードであるから,それがmain points になる。ここには,議論やそれを支える情報をぎっちり詰め込んでおく必要がある。

 そして最後の4枚目のカードは, conclusion (結論)である。

 ここで,こういうことを説明したのだとまとめること

introduction

body of speech

conclusion of speech

である。

 これで一本の筋は通る。これがstructured specch と称するもので,そこには必ず話の展開(devclopment)がある。

 スナイダー氏のfour-card方式をAbne M. Eisenbergの言葉を借りて解説するとこうなる。

 いいスピーチは,前進(devdop)するもので,後へ戻らない。下手なスピーすは同じことの繰り返しが多く,話か回りくどい。

 だが,日本人が観衆の場合,むしろ少しくらい脱線した方がうける。

 ところが,英語でしゃべっている間,思考が真っ直ぐに伸び,飛躍や繰り返しがなくなるから不思議だ。

 英語のスピーすを繰り返していると,自然にロジックが身についてくるのは, development (前進)のくせかつくからであろう。

 このdevelopmentを音楽用語でいうと楽章になる。

 音楽も流れるようにdevelop (進む)すろのだ。

 ソナタ形式も「提示」-「再現」-「コーダ」というふうにスピーすと同じようにdevelop (流れる)する。

 いい音楽は滞ることなく流れるように進むものだ。

 1対1で話す時は,歌を歌い,大勢の前では語りかけるように話せ,とだれかから聞いたことを信じ,人にも教え伝えているのであるが,語りかける口調のスピーチにも楽譜があってしかるべきだ。対談の時でも私はソナタ形式の楽譜を用いる。

 次の楽譜メモは, 1984年2月25日,中津氏と「英語と発声とリズム」というテーマで対談するに当り,準備したものである。

 たった一枚の紙だが,舞台であがることはまずなくなる。

『上級をめざす英会話』松本道弘著より