シンボルを追う

 

 異文化間コミュニケーションとは, symbol-to-symbolcommunicationに他ならないという持論も同時通訳の経験に負うところが多い。

 ボキャビルよりもシンビル(symbo!-hilding)を主張し始めたのも,シンボルが掴めれば,知らない単語やイデオムの意味も自から見えてくる,という説も同時通訳という集中力を要する芸術から生まれた。

 そこでこの私説から,単語を迫うのではなく,シンボルを追えば,自然に英語が話せるはずだという仮説を導き出した。たしかに,同時通訳をしている間は,耳から入る英語は文法や言葉の意味を翻訳したり,分析したりする余裕はなく,通訳者自身も文法を組み立てているヒマもない。極端にいえば,考えれば,同時に訳せないのだ。

 最初のうちは,自分の訳した日本語と英語をテープで聞いてみると,何度も泣きたくなった。だがこれを繰り返していくうちに,自然に言葉が耳から入って,自然に他の言葉に移し換えることができるようになってくる。

 読者に申し上げたいのは,同時通訳のプロになる必要はないが,同時通訳者の発想で英語を学べば,英語がきっと軽くなり,使いやすくなるということだ。同時通訳を辞めてから久しいが,日本語でも英語でも難訳語に出くわすと,はて同時通訳をしている時ならどう訳すだろうかと考え,一瞬緊張し,集中する。私がよく口にする集中思考(concentratcd thinking)は同時通訳の経験から生まれた。英語をシンボルから学ぶ方法は同時通訳が一番近道である。なぜなら,同時通訳とは,言葉のシンボルを扱う知的作業だからだ。

 英語の単語がわがらなければ,シンボルで読め。

 英語の表現がわからず話せなければ,シンボルで話せ。

 要するに,ボキャピルに強くてもシンボルは掴めない。逆にシンビルをやれば自然にボキャビルは強化される。

 音声を通じて強化されたシンボルの絶対量は,自然で,使用に当りリスクの少ない英語である。その反対にボキャビルで学んだ英語は受験には役立つが,日常会話に用いるにはあまりにもリスクが大き過ぎる。繰り返すが,同時通訳のプロになる必要はない。だが英語のスピーキングに強くなりたければ,独りでも同時通訳に挑戦すべきだ。人問だれしもなまけやすいもので,少なくとも1日に20分でもいいから,日本語のテレビ番組を見ながら英語に同時通訳するなどして,思考を集中させる習慣をつけてはどうだろうか。