鮮明な表現


〈The Intcllcctual or Logical Listener (知的リスナー)〉

 知的人問というのは,自分の問きたいことだけを聞き,それ以外のことは聞き流す人のことである。なにかのテーマを追っている調査マンか,ジャーナリストは常に頭の中でチャンネルを選択する訓練ができているので,求めている情報に関しては確実に聴きとれるだろう。英語のリスニングのための外人ハンターなら英語そのものの情報は入手できるが,ジャーナリストが関心をもつような情報はいかにホットなものでも記憶に残らなしヽ。

 その反面,ジャーナリストは内容の収集に関してはシャープだが,必ずしも英語そのもののスピーキングは仲びない。 intellectual listenerにも悩みかおるのはそこだ。それに対して, logical listener というのは,論理の糸(loがcal thread)を通しながら聴く人のことであり,スピーカーのまとまらない話でも余計な箇所は切り捨てて,論理の枠組みの中に押し込めてしまうので,あとで検索し,論理的にまとめて発表するのが得意だ。

 ところが,このlogical listener は,論理の飛躍の多いスピーカーの話にはついていけない。入手すべき情報のプログラムができなければ,分析麻痺(analysis paraly-sis)を惹き起し,もうお手上げだ。論理的な人であればあるほど,よりロボット的,あるいはよりコンピューター的で,融通が利かなくなる。だから私はコンピュータ-のプログラマーの人達に講義をする時などはできるだけ飛躍せず,論理的に,時には図を用いて語るよう心掛けている。

 黒板がなく,配布資料もなければ,できるだけリスナーの脳裡にイメージとして鮮明に映ろような表現を使うことだo

「絵になる英語」をgraphic English と訳せば,絵になるような話し方をすることはgr丱hie speaking になる。その反対にスピーカーの英語をパターン化して聴くことをgraphic listening と呼ぶ。どちらも私の造語で申し訳ないが,,直線的にフォローできないような時は,文字で書かず,グラフや絵のように空間的に,絵で描くという私の独自の手法である。

 絵にもならないスピーチは,どこかそのスピーカーの話法に欠陥があり,リスナーの責任ではない。

 通常,欧米人のスピーチは,以前に述べたような骨格になっているので,アウトラインだけをフォローすれば聴き取りやすく,またその通りメモをとっておれば検索は簡単だ。