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書ければ話せる

 

 瞬間で勝負をする話術師,タモリは話せるが,書けないという。一瞬一瞬に集中できるが,集中は持続できないのであろう。人はよく私を困らせる質問をする。「先生は,書くこと話すこととどちらが得意ですか」と。だがもっともな質問だ。話し手は書き下手で,書き上手は話し下手,というのが世間の一般常識で,「書いても話しても達者」というのはどうも私のひがみという印象を与えやすい。というのは,私にもする限り不思議に,そのカテゴリーに入るからだ。ただ,いえることは,血液型がA型のせいか書くということの方が自分には,より疲れるが,気性的には向いているように思える。

 話すということは,流れる川の上で絵を描くようなもの,と自嘲的に私に語られたのは,日本の誇るべき喜劇役者藤山寛美だが,話された言葉とはそんなに瞬問に忘れられ,人の記憶には残らない悲しいものなのか。

 いや,だからこそそこにリスクがあり,一瞬にかける話術にロマンがあるとみる向きもある。だがこの章で私が扱いたいのは,writingが,この一瞬一瞬の言葉の選択が優劣を決定するsPeakingに寄与するということの証明である。これには少し紙幅が要る。

 中学1年の頃から今口まで毎日書き続けている当用日記から学んだことは,

 1)集中思考が身につき,

 2)思考をまとめ,言語化するのが楽になり,

 3)論理が生まれ,

 4)創造性が生まれ,

結果として,

 5)英語が巧くなる,

ということである。

 高校時代の終り頃,学校で学んだ文法を用いて英語で日記を書いたこともあったが,時には3,4時間もかかり悲鳴をあげて再び,日本語に戻ったことも党えている。大学に入り,またぞろ英文日記に挑戦したくなった。 365日,すべて英語で通した年もあった。苦しかったが,速い日になると,一日の出来事を20~30分くらいで書き終えることができ,オレは英文日記が20分で書けるのだと周囲に吹聴したこともあった。 また「オレは,自分の考えを20分以内に英語でまとめられる」とも豪語した。今から考えれば,恥ずかしいことを言ったものだ。

 その頃の私の毎日とは,そんなに変化に富んだものではない。学校で話すことも限られ,環境が私の心境に急激な変化を及ぼすことなど,ます考えられない。そのような頃に,常に変る人問の複雑な心境が英語でスラスラ書きまとめられるというほど英文ライティングは甘くない

 多分,惰性で書いていたのであろう一同じ英語の間違いを犯しながら。だが,それでも英語で日記を書き続けるということのメリットが多い。とりわけ思考の集中に役立つ。その時の出来事や心境を,一晩の数十分間,神経を集中させながら書き止めるということは,同じ事を他人に対し言葉でラクラクと伝達できることを約束するからだ。

 話しても書けないが,書ければ話せる,と私が力説するのはここにある。

 思考の言語化。言語の論理化。思考の凝結化。

 このように,言葉の効率的運用により,思考はまとまり,言葉は簡素化され,文体はますます短くなる。書くことの最大のメリットもここにある。