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大脳皮質の分業体制

 

 局所麻酔で脳の手術をうけている患者さんの、大脳皮質の中心溝の前のあたりに電極をあてて電流を通じてみる。すると、拇指がピク″と動く。刺激する場所をすこし下にすらすと、
こんどは顔の筋肉がひきつる。

 刺激電極を中心溝のうしろに移すと、手の甲に触られているようだという。次に、外側溝のあたりを刺激すると、ザ、ザ、いう音がきこえるという。にの刺激実験は、古く一八七〇年
に、イヌの大脳皮質で、運動を司る場所(運動野)を発見したときに使った方法であって、現在でも、脳の働きを調べる重要な研究法の一つである。

 しかし、この方法で、脳の働きのすべてがわかるというものではない。思考や感情や意欲など、高等な精神が営まれる場所をどんなに刺激しても、幾何の問題がとけたり、創作の意欲
がおこったり、成功の喜びを感じたりするようなことは決してない。ということは、電気刺激は、およそ不自然な人工刺激であるからである。

 しかし、不自然な電気刺激も、使いようによっては結構役にたつ。たとえば、言葉をしゃべらしている途中で、ブロ、カが発見した言語野を刺激すると、言葉が乱れてくる。言語野の
正常な働きが、電気刺激でかき乱されたためである。このような逆手を使えば、高等な精神の座も調べられるわけであって、実際に、判断する領域や言語野は、この逆手をうまく使って
調べたものである。

 ところで、刺激実験の短所を補う意味で、破壊実験がよく使われる。たとえば、手の運動野を切りとると、手が動かなくなる。聴覚野を切りとると、きこえがわるくなる。また、意欲
の座を切りとると、積極的にことをしようという気がおこらなくなる。従って、この方法をうまく使えば、高等な精神の座もきめることができるわけである。

 とはいっても、人間の脳を、むやみやたらに切りとるわけにはゆかない。そこで、自然におこる破壊実験ともいうべき、脳の外傷や腫瘍や出血などの病気が、研究の対象になるわけで
ある。実際に。生前の症状(脱落症状)と死後の脳の破壊の状況を調べた研究は、私たちに貴重なデ、タをたくさん提供している。

 しかし、破壊法にも短所がないわけではない。たとえば、手の運動野を切りとると、しばらくの間は手が動かなくなるが、そのうちに回復する。周囲の部位が、働きを代行してくるた
めであって、この代償現象は、実験結果の判断を混乱させるおそれがたぶんにある。

 また、ジャクソンやコルトスタインたちの構神医学者が指摘していることであるが、破壊によっておこった脱落症状は、その部位で営まれる精神ではなく、下層の部位の働きが現われ
たのかもわからないし、あるいは、破壊されたために、全体のバランスが崩れ、全く別の症状がおこったのかもしれない。

 この批判は。大脳皮質の局在論と全体の対立にまつわる重要な問題であるので、あとでふれることにし、ここでは、現在いちおうわかっている分業体制の全体J’の輪郭について説明
しよう。

 中心溝を境にして、前方の帯状は、筋肉運動を司る運動野で、後方の領域(311‐2野)は、皮膚感覚と筋肉運動の感覚を司る体性感覚野である。この領域は、大脳半球の内側面ま
でのびており、9と10で説明するが、この領域のなかにも、身体の部位に対応した分業体制がある。しかし、この二つの領域の問には、働きのうえでは、はっきりした境界がなく、体性
感覚野のなかにも、その効果は弱いが運動を発現する仕組みがある。

 この二つの領域の下に接して、第二次の感覚運動野がある。また、半球の内側面にある運動野の前方に、補足運動野がある。これらの領域は、運動の発現と感覚の形成に、、わき役的
に働きかけているらしい。

 運動野に接する前方の6野は、運動前野とよばれている。どんな簡単な運動動作も、たくさんの筋肉の合目的的な協調によって行なわれている。この協調の仕組み、すなわち、運動の
統合作用が。この運動前野で営まれている。従って、この領域がこわれると、文字がうまく書けなくなったり(失書症)、手を思うように使えなくなったりする(失行症)。

 6野の下にある44野は、前回路野とよばれ、言葉を話すための筋肉運動を統合する領域である。ここがこわれると、口中喉頭の筋肉は麻痺していないのに、言葉が話せなくなる(運動
失語症)。なお、6野の前の8野は、眼球連動を統合する前頭眼野である。

 これらの領域を前方から底面にかけた前頭葉は、創造や感情の構神活動が営まれる領域である。なお、運動野牛感覚野以外の領域は、脳の働きの本領である統合作用を営んでいるので
、これらの傾域を連合野という。

 中心溝の後方の大脳皮質には、体性感覚野をけじめ、いろいろな感覚野がある。

 外側溝の奥にかくれているヘシュル回という場所に第一次聴覚野があり、それにつづいて、上側頭回の中央部から後方にかけて第二次聴覚野がある。また、頭頂葉側の外側溝の縁(頭
頂弁蓋)を刺激すると、目まいや身体の回転感がおこるので、平衡感覚の感覚野があるのではない ゛かと考えられている。

 後頭葉の半球内側面にある鳥距溝を囲む領域に、第一次視覚野があり、その一部は、外側面へのびている(17野)。17野をとりまく18野と19野は、第二次視覚野である。なお、19野を
刺激すると眼球運動がおこるので、後頭眼野という。

 味覚は、頭頂弁蓋から、口今舌の感覚野にわたる領域で営まれていると想定されているが、はっきりしていない。

 嗅覚は、半球底面にある旧皮質(梨状葉)で営まれている。また、温度感覚、痛覚、内臓感覚が形成される領域は、外からみえる大脳半球にはないらしい。大脳辺縁系の皮質部分か間
脳のあたりではないかと考えられている。

 体性感覚野と第一次の聴覚野と視覚野でかこまれた広い領域は連合野であって、感覚野で感じとられた感覚を素材にして、知覚、認識、理解などのより高次の構神活動を営む領域であ
る。

 すなわち、体性感覚野の後方に接する頭頂葉の領域では、触ったものの形、大きさ、粗滑などが知覚される。さらにまた、握っているものが、マッチ箱かパチンコ玉かを判別、認識す
る働きが営まれている。従って、もしもこの領域がこわれると、触ったものがなんてあるかわからなくなる(失認症)。

 第一次視覚野のまわりの領域では、目にうつった映像を、まとまった図形や文字として知覚し、意味づける働きが営まれている。その証拠に、もしこの領域がこわれると、文字をみて
も読みとることができず(失読症)、みている物がどんな意味かわからなくなる(失認症)。いわゆるあきめくら(精神盲)である。

 第一次聴覚野をとりまく広い領域では、きこえる音や声を、音楽や言葉として意味づけて理解する働きが営まれている。特に、この領域に後言語野があり、ここがこわれると、きいて
いる声が言葉として理解できなくなり、従って、まともな言葉が話せなくなる(感覚性失語症)。さらに、頭頂葉後頭葉の移行領域では、時間と空間の認識が営まれているという。

 最後は、前頭葉と共に、人間で一番よく発達している側頭葉であるが、ペンフィールドたちの研究によって、判断と記憶に関係する働きが、この領域で営まれていることが明らかにな
った。

     以上が、大脳皮質の分業体制のあらましである。人間の大脳皮質では、インプッ卜にあたる感覚野とアウトプットにあたる運動野の領域は、大脳皮質全体の面積に比べるとわ
ずかであって、その間をうめる連合野が非常に広い面積を占めている。これを動物の大脳皮質の分業体制と比べてみると、高等な構神の座である連合野の重要性がよくわかる。

 なお、運動野や感覚野は、身体の反対側の筋肉や感覚器に対する支配が圧倒的に強い。これについては、あとの章で説明する。

 以上のような分業体制は、とりも直さず、局在論の思想である。これに対して、ジャクソンにはじまり、ゲシュタルト心理学に支えられながら、コルトスタインによって発展された全
体論の主張があることは、さきに触れたところである。しかし、彼らの全体論の構想は、かつてフル上フンが提唱した考え方(1参照)とは違い、一つ一つの構神の局在はみとめるべそ
の働きは。大脳皮質全体との関連において考えねばならないというのである。

 大脳皮質は、細胞構築学的には、一応ブロードマンの脳地図のような区分があるとしても、皮質内で、各領域の間に緊密な線維連絡があり、また、大脳皮質の各領域は、視床の核とそ れぞれ相互に複雑な線維連絡がある。従って、各領域は、皮質のレベルでも孤立していないし、また視床のレベルで考えると、一層独立に振舞うことはできないようになっている。従って、いろいろな構神活動が局在するといっても、視床を含めた大脳皮質全体の基盤に立って、はじめて分業の働きが可能なわけであり、これが、大脳皮質の働きの正しい理解の仕方であ
る。