感覚する脳

 

 目でみる、耳できく、舌で味わうという。しかし実際に感じているのは、脳の感覚野である。

 また、草むらにすだく虫の音をきく、天空にまたたく星をみる、ともいう。このように、外界に、物の存在を感じるこの性質を、感覚の投射という。

 ところで、感覚野の脳細胞の活動が、なぜ感覚という意識現象をおこすかI私たちには、それはわからない。私たちは、感覚をおこす刺激の性質と、それによっておこった感覚現象と
の間の対応関係を求めているだけである。

 ドイツの心理学者フェヒナ、は、感覚の大きさSは、刺激の強さIの対数に比例するという、精神物理法則をたてた。しかし、質でしか表現できない感覚を、刺激の量で表現しようと
するところに、根本的な矛盾がある。

 感覚の受容器は、それぞれ特定の刺激だけを、非常に敏感にうけいれるように分化している。この刺激を、その受容器に対する適当刺激という。そこで、感覚を、適当刺激の種類によ
って、次のように分類することができる。

  機械的刺激-触覚、圧覚、聴覚、固有感覚(平衡感覚、張力感覚)

  化学的刺激1味覚(甘さ、塩からさ、酸っぱさ、苦さ、嗅覚

  電磁波的刺激-温覚、冷覚、視覚

 このほかに、痛みの感覚がある。痛みの受容器は、ぼかの受容器と違って適当刺激がない。あらゆる刺激をうけいれるが、生体に危害をおよぼすくらい強烈になったときにはじめて興
奮する仕組みになっている。侵害受容器とよばれるゆえんである。

 受容器にシナプスしているネフロンは、第二、第三のネフロンとシナプスしながら、脊髄辛脳幹を上行して視床の特殊核群へはいる。ここで最後のシナプスを作って、大脳皮質の感覚
野へ達している。この上行するネフロンの連鎖を感覚神経路という。

 感覚神経路は、脊髄や脳幹で側枝をだして、運動神経細胞とシナプスして、反射弓を作っており、また、脳幹では網様体へ側枝をだして、網様体賦活系を駆動するインプルスを送りこ
んでいる。

 感覚の仕組み 刺激をうけいれた受容器が、イングルスを感覚神経へ送りだす仕組みは、あらゆる受容器で同じであり。シナプスにおける伝達の仕組みににている。すなわち、刺激に
よって、受容器に連続的な徐電位(発動器電位、または受容器電位)が現われる。そして、この徐電位がある大きさになると、不連続なイングルスを発現し、徐電位が大きいほど、信号
化されたインプルスの頻度がはやくなる。従って、刺激の強さに対応する感覚の大きさは、一応、脳へ送りこまれるイングルスの頻度によって決まると考えられる。

 聴覚野のなかでも、音の振動数に従って、それに対応する区域が規則正しく並んでいるといわれている。しかし、勝本の研究によると、傾向としては、前方部が高い音、後方部が低い
音に応ずるようであるが、そんなに規則正しい排列はみられない。もっと複雑な体制になっているのだろう。

 味覚や平衡感覚や痛覚や嗅覚などの感覚については、感覚野そのものがよくわかっていないから、分業の体制はなおさらわからない。

 動物でも人間でも、第一次感覚野に接して、第二次感覚野がある。より高次の構神活動、すなわち知覚の形成に関係すると考えられている。

 以上の感覚のぼかに、内臓感覚という名前で総括されている特殊な感覚がある。窒息感、空腹感、渇感、空閨感、排便、排尿感などである。これらの内臓感覚は、基本的生命活動に緊
密に結びついている感覚であって、嗅覚や痛みの感覚と一緒にして、原始感覚とよんでいる。これに対して、視覚、聴覚、触覚などを、判別性感覚という。

 内臓感覚のうちで、排便、排尿感は内臓痛覚と同じように、圧覚や痛覚の受容器によって行なわれている。そのほかのものには、特別な受容器はなく、むしろ間脳(特に視床下部)に
、その状態を感じとる受容器のような働きをする細胞があるのではないかと想定されている。

 感覚は普通、意識にのぼるものだけが問題にされている。しかし、意識にのぼらないで、いろいろな刺激をうけいれている受容器がたくさんある。大動脈弓や頸動脈洞にある血圧の変
化をうけいれる圧受容器や、頸動脈球にあって、血液の組成、特に水素イオン濃度の変化をうけいれる化学受容器などであって、自律神経系の働きを恒常的に維持するための重要な役割
をしている。

 そのほか、受容器から送りだされるイングルスは、意識にのぼらないで、脊髄や脳幹の反射の仕組みに関係していたり、また一方では、迷路や筋紡錘からでるインプルスのように。姿
勢や運動の自己調節のための情報としての役割をしているものもある。

 さらにまた、さきに述べたように、網様体賦活系を駆動する動力源としての重要在役割心もっている。

 このようにみてくると、以上述べた意識にのぼらない「声なき声」としてのイングルスの役割はきわめて大きく、私たちの身体の健康を支えるホメオスタシス(恒常性維持)の仕組み
は。この「声なき声」によって維持されているのである。

     眠っているときでも、感覚器は門戸開放で、目ざめているときと同じように、刺激をうけいれてインプルスを脳へ送っている。しかし、感覚はおこらない。ということは、意
識があってはじめて感覚は成立するからである。

 私たちの意識は、賦活系という特殊な神経構造の活動によって支えられており、この賦活系を駆動するものは、受容器から脳へ送りこまれているインプルスである。従って、感覚のイ
ンプルスは、それによって意識の水準を高めると同時に、感覚をおこすという、きわめて合理的な仕組みになっている。

 ところで、同じ剌激にながくさらされていると、その刺激でおこっている感覚が、次第に色あせてくる。これを、慣れの現象という。この現象は、ネフロンの連鎖を上行する感覚のイ
ンパルスが、途中のシナプスで次第に阻止されるためである。そして、この阻止は、大脳皮質から下行する神経線維がシナプスに働きかけて、抑制作用をおよぼすことによっておこると
考えられる。

 同じような抑制作用が、注意を集中する精神活動にもみられている。ネコの聴覚神経路の中継場所の一つである蝸牛核に、電極をあらかじめいれておき、三秒おきに衝撃音をきかせる
と、音に対応して、蝸牛核から電位変動(誘発電位)が記録できる。

 そこで、音をきかせながら、ネコの前に、ビーカーにいれたネズミをもってくる。ネコは、音よりもネズミに注意を向ける。するととたんに、いままで現われていた誘発電位が消える
(B)。すでに蝸牛核のところで、聴覚のイングルスが阻止されているわけである。ネズミをとりさると、ネコは再び音に注意を向けるようになり、同時に、蝸牛核に誘発電位からとの
ように現われてくる(C)。

 このように、あるものに注意を集中するという仕組みは、ぼかの感覚のインプルスが大脳皮質へ到達しないように、感覚神経路の途中のシナプスのところで、伝達が阻止されることで
ある。そして、この伝達の抑制は、大脳皮質から脳幹の網様体へ下行する神経路によって行なわれているのである。

 慣れの現象にしても、注意の集中にしても、上位のネフロンになるほど音に応ずる範囲がせまくなるという、勝木の研究と共に、精神活動にパタンを作るということにほかならない。
しかも、これらの現象が、いすれもシナプスにおけるイングルスの伝達を抑制するという巧妙な仕組みによってきわめて合目的的に行なわれているのである。