利き手、利き脳

 

 私たちは、左右の手を自由に使いわけることができるし、皮膚の感覚も、左右を感じわけている。身体の左右の筋肉や皮膚の感覚を司る運動野辛感覚野が、左右の大脳半球にふりわけ
られているためである。

 しかも不思議なことに、脳と身体で、支配関係が逆になっている。つまり、片側の大脳半球は、反対側の身体の筋肉牛皮膚の感覚を司っている。運動野から下行する運動神経路や、皮
膚から上行する感覚神経路が、脳幹や脊髄で左右交叉しているためである。

 しかし、この左右交叉は完全ではない。運動神経路のうちでも、錐体外路には、同側の筋肉を支配しているものがある。また、目や耳の感覚神経は、同側の大脳半球の感覚野へゆくも
のが非常に多い。目の網膜からでる視感覚の神経路を示したものであって、片側の視覚野は、両側の目の網膜のそれぞれ半分の領域からくる神経線維をうけている。 私たちは、左右の
手足を、うまく協同して動かすことができるが、運動野から両側支配をうけているためである。また、音の方向がわかったり、物をみて、方向や遠近がわかるのは、一方の耳や目からで
る聴覚神経や視覚神経が、両方の大脳半球の聴覚野辛視覚野にまたがっているためである。目や耳の両側支配は、筋肉牛皮膚に比べると、ずっと強い。従って、片側の大脳皮質が脳出血
性外傷でこわれても、手牛足には半身不随がおこるが、目や耳では、片側だけがだめになるということはなく、両側がわるくなる。

 ところで、左右の筋肉の協同的な働きと左右の感覚器の統合的な働きは、左右の大脳半球の間の緊密な線維連絡によって一層完璧なものになっている。この線維連絡をするものは、両
半球をつらねる脳梁である。

 脳梁は、カモノハシやカンガル、のような下等な哺乳類にはないが、それより高等な動物にはある。しかも、大脳皮質(新皮質)の発達がよくなるほど、脳梁も大きくなっている。

 脳梁による左右の大脳皮質の連絡は、運動野についていうと、顔牛頭や胴体を支配する領域では密であるが、手や足の領域では、反対に、連絡が粗になっている。手や足は、左右の使
いわけが自由にできるが、顔や頭や胴体の筋肉ではうまくできないのは、このためであろう。

 脳梁による左右の大脳半球の連絡は、運動野平感覚野の問だけではなく、左右の連合野の間でも行なわれている。

 非常に稀ではあるが、正常な脳の働きをもっているにもかかわらず、生れつき脳梁のない人がある。脳梁に代って、間脳中中脳で左右の連絡が保たれているのであろう。あるいは、後
で述べるように、高等な精神は、どちらか片側の大脳半球の連合野だけで営まれていて、両側の連合野の協同的な働きは必要でないのかもしれない。