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利き手

 


字をかいたり、箸をもったり、相手をなぐったりするような、片手でできる動作に普通、私たちはどちらか一方の手をきめて使う。敏捷に、しかも正確に動かすことができ(器用さ)、
そのうえ、力もよくはいるためであって、これを利き手という。

 人間では、右手を使う右利きの方が、左手を使う左利きよりずっと多い。調べ方によって、その比率が違うが、左利きは、五-一〇%の範囲内である。人種による違いはないが、性別
では、男の方が女より多いといわれている。

 利き手は、生れたばかりの赤ん坊でははっきりしない。つまり、両手利きである。生後七ヵ月ころから、どちらか一方の手を、余計に使うようになり、二歳ころになると、利き手がか
なりはっきりしてくる。そして、六歳ころには、すっかり利き手がかたよるという。

 二歳から四歳までの子供で利き手を調べ、同じ子供が、二年後にどんなに変るかということを調べた結果を、上の表に示してあるが。さきに述べた、成長とともに利き手が移り加わる
様すがよくわかる。

 それでは、なぜ右利きが多いか。生れなからにして、右利きになる素質が遺伝しているという先天的要因と、生後の環境の影響や社会的な要請によるという後天的要因とが考えられる

 遺伝的要因を支持するものに、井村の統計がある。左利きの子供が生れる率は、両親が右利きの場合には二こ%、両親が右利きと左利きの場合には一七・三%、両親が左利きの場合に
は四六・〇%である。この場合に、環境の影響も当然考えねばならないが、一応、遺伝素質の重要性を思わせる。

 また、よくひきあいにだされるのは化石人類は右利きが多かったということである。図49は、七す万年以前に生存していたアウストラロピテクスの復元想像図である。獲物のヒヒの頭
骨の左側がたたきわられているのが多いということから想像して。すでにアウスト、フロピテクスのころから、人類は右利きであったという。

 また、二す万年以前に生存していたネアンデルタ、ル人も、右手を使っていたといわれている。もっと新しいところでは、一万五千年以前のクロマニオンも、右利きが多かったという
証拠が、ラスコ、洞窟の壁画に残っている。この手形は、壁に手をあてて、色素の粉末をふりかけて作ったものである。一つの洞窟で調べてみると、右手が七で、左手が三五であって、
右手で粉末をふりかけたもの、つまり右利きが多いということを物語っている。また、同じ洞窟に、槍をもっか壁画があるが、やはり、右手でもっているのが多い。

 このように、進化の跡をたどってみると、右利きが多いというので、遺伝的要因が考えられている。しかし、遺伝素質をみとめるとしても、最初にその素質を作ったものはなにである
かということになると、いろいろな意見がだされてはいるか、いずれも臆説の域を脱していない。

 一方、環境の影響も、十分考えられることである。たしかに、左利きのこどもを、訓練によって右利きにすることができる。また、チンパンジ、の利き手を調べた結果によると、右利
きが七七匹、左利きが一四匹、両手利きが五匹で、人間より左利きが多い。このことから、人間の右利きがより多い原因を、後天的要囚のためであると考える人もある。

 しかし、環境の影響だけで、すべての利き手がきまるというわけにはいかない。やはり、利き手をきめる主な要囚は遺伝素質であって、その上に、環境やそのほかの後天的影響を考え
るべきであろう。

 なお、利き手だけでなく、いろいろな動作をみても、どちらか一方をよく使うという。す二歳から二十歳までの男の孚生五三二人について調べたブロ、の統計がある。この表で興味あ
ることは、あまり器用さを必要としない動作ほど、利き方に左右の違いがすくない。

 利き手は、手の筋肉の働きの分化発達によるのであるが、そのもとは、大脳皮質の

 運動野の分化発達にもとづいている゜すると利き手に対して利き脳を考えねばならない。さきに述べたように、筋肉運動の支配は、左右交叉しているから、右利きの人の脳では、手の
運動野については、左の大脳半球が優位であるといえる。そして。一般的にみて右利きが多いから、人間の脳では、左半球が利き脳であるといえよう。

 左半球の優位性が、手よりももっと強調されているのは、言語野である。前の章で述べたように、言語野は、右利き左利きを問わず、ほとんどすべてが左半球に局在している。

 しかし、左利きもかなりあるから、すべての脳の働きに対して、左半球が絶対的に優位を占めているとはいえない。精神活動の種類によっては、右半球が優位であってもよい。しかし
、右利きの多いこと、言語野が左半球に局在することは、全般的には、生れつき、左半球は利き脳の性質を具えているといってょかろう。

 すると、連合野で営まれる高等な精神活動も、あるいは、どちらか片側の半球に局在していてもよさそうである。もしそうであれば、どちらの半球か。言葉を話すというきわめて高等
な精神活動が左半球に局在しているから、そのほかの知覚、認識、思考、判断、記憶、創造、感情などの構神活動も、左半球に局在しているのではないかとも考えられる。

 しかし、前の章で述べたことであるが、自分の身体の形や空間における位置を知覚する働きは、右半球に局在している。また、側頭葉を電気剌激して、認識の錯覚(既視体験)がおこ
ったり、判断の間違いがおこるのは、右半球の方が多いというし、立体を知覚することができなくなるのは、右半球の破壊でおこるといわれているから、あらゆる精神活動を、無条件に
左半球に局在させるわけにはゆかない。今後の研究がおおいに期待される重要な問題である。

 近年、治療の目的で、片側の大脳半球を切りとる手術が行なわれ、手術後の構神状態が長い間にわたって詳しく調べられている。運動の麻痺や感覚の障害は当然おこるが、それに比べ
ると、構神状態には思ったぽどの障害がおこらないという。この場合、代償作用についても慎重に考慮しなければならないが、利き脳や左半球の優位性の問題の解決に、示唆にとんだ材
料を 提供することであろう。

 なお、高等な精神活動が、どちらかの大脳半球に局在するという考えは、言語野が左半球に局在しているという事実からおこったことである。なるほど、筋肉運動に対しては、左右の
支配が必要であるが、運動の統合をする働きは、一ヵ所で営まれていてよいはずである。言葉や思想には、左や右があるが、しゃべるという働きそのものには、左も右もないはずである
。力の不均衡を防ぐための、脳の巧妙な仕組みといえよう。

 この論法でいくと、思考すること、判断すること、’創造することなども、どちらか一方の半球で営まれていてよいはずである。このように考えてくると、利き手のための利き脳とい
うよりは、利き脳の真の存在価値は、高等な精神活動に対してであるといえる。

 最後に、つけ加えておきたいこと。それは、左利きには構神病者が多いとか、あるいは反対に、左利きは知能がすぐれているとかいう問題である。いずれも、科学的根拠のない臆説で
ある。また、左利きの人に、いたずらに劣等感をいだかせたり、無理な矯正を強いていることもあるようだが、およそ害こそあれ、益なき仕業である。