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怒る脳

 

 私がここで

  涙がでるから悲しくなるのだ。逃げだすから恐ろしく感するのだ。とでもいおうものなら、とんでもない、と一笑にふされるに違いない。

 しかし、五十年ほど以前に、ジェームズとラングの二人の心理学者が、この情動の末梢起源説なるものをまじめに提唱して、学者の間で真剣に議論されたものである。

 それはともかくとして、情動の仕組みを述べる前に、情動とはどんな心の動きか、ということについて定義しておこう。

 私たちは、おのずから具わっている生物的欲求の心にかりたてられて、たくましく生命活動を推進している。しかし、かなえようとする欲求が、いつでも思い通りにかなえられるとい
うわけにはゆかない。すると、欲求不満(フラストレ、ション)がおこり、私たちは不快感をおぼえる。そこで私たちは、欲求をかなえて、不快感をなくすような行動 にでる。そして
、思い通りに欲求がかなえられると、私たちは快感(満足感)をおぼえるのである。

 ところで、不快感がつのると、怒りの心に発達し、さらにこうじると、怒りの行動へ爆発す る。相手にうちがち、相手をうちのめすための攻撃とか闘争とかいった前向きの行動であ
る。

 また一方では、欲求が強くはばまれ、基本的生命活動がおびやかされるような事態になると、不安とか恐怖といった心がおこり、回避したり、逃走したりする後向きの行動にでるので
ある。

 このような、快感、不快感、怒りの心、不安、恐怖の心を情動とよんで、喜びや悲しみの感情と区別している。この心は、私たち大人だけでなく、新皮質のまだ発達していない赤ん坊
にも具わっているし、新皮質のほとんどない動物にもみられる心の動きである。つまり、基本的生命活動に結びついた本能的な心であって、この心が行動となって現われたときに、それ
を情動行動という。怒りの仕組み さきのジェ、ムスニフングの説は別として、情動を脳の働きに求めて実験的に

    研究されだしたのは。十九世紀の終りごろのゴルツの実験にはじまる。ゴルフは、大脳皮質(新皮質)を切りとったイヌが、普通ならなんでもないような刺激で、はげしい怒り
の行動を現わすことをみた。

 大脳皮質のないイヌの怒りをよくみると、ただ怒っているだけであって、刺激を加えた相手にかみつくといったような、環境に適応した行動をしない。怒りの心がなくて、形だけで怒
っている、いわば、「理由なき怒り」である。そこでキャノンは、この怒りを、本当の怒りと区別して、「見掛けの怒り」と名づけた。

 キャノンの実験は、すくなくと心情動の仕組みは、新皮質の下のどこかで営まれており、しかも、新皮質は、情動の仕組みに対して抑制的に働きかけていることを示唆している。

 今世紀になって、解剖学者のランソンや生理学者のヘスは、破壊や刺激の実験法を使って調べ、情動は視床下部で形成され、行動として発現されると結論した。

 また一方では、サルの両側の梨状葉と扁桃核をこわすと、狂暴性がなくなって温和しくなるという、クリユ、バ、とピュ、ジ、の研究にはじまる同じような一連の研究に基いて、情動
の形成に、むしろ、旧皮質や扁桃核の重要性が強調されている。なおこの間に、パペッツのいわゆる情動回路(海馬-脳弓-視床下部視床前核群-帯状回-海馬)の仮説の提唱があっ
た。

 怒りの心にしても、不安、恐怖の心にしても、それが行動になってあらわれてはじめて、その心の動きを知ることができる。従って、情動の仕組みを研究するにあたっては、情動の心
(情動の体験)と情動の行動(情動の表出)にかけて考えるべきである。

 ところで、視床下部が情動の仕組みに重要な役割をしていることは、研究者の意見が一致している。しかし、そこで、情動の体験も形成されるか、それとも、情動の表出だけに関係し
ているかという点で、ヘスとマッサ、マンの間に意見の対立がある。

 ヘスは、ネコの視床下部に電極を植えこんで、電気刺激をしたときのネコの行動を詳しく観察した。彼のいう情動防衛反応がおこるが、これは、自然におこる怒りと全く同じであると
いう。すなわち、歯を行き、爪をたて、叫び声をだし(体性神経系の反応)、瞳孔は大きく開き、呼吸をはずませ、心臓の拍動ははやくなり、毛を逆立て(自律神経系の反応)、相手に
向ってとびかかってきたり、噛みついたりする。そこで、ヘスは、情動の体験も情動の表出が視床下部で行なわれていると考えた。

 これに対して、マッサーマンは、視床下部を刺激すると、なるほど、怒りの反応は申し分なく現われるが、相手に向ってゆくという適応行動はおこらないという。また、本当に怒った
ときは、怒りをおこした原囚がなくなつても、いつまでも怒っているが、視床下部の刺激では、刺激電流を切ると、とたんに怒りの行動をやめてもとのように温和しくなる。そこでマ″
サーマンは、視床下部は、情動の表出を統合する領域であって、情動の体験は、さらに上位の場所で形成されていると主張している。

 この意見の対立について、現在でも、多くの研究者によって論議され、条件行動や学習行動を目安にした巧妙な方法を使って、実験的に検討されている。しかし、視床下部を電気刺激
するという、およそ不自然な、しかも条件を複雑にする方法を使っている限りは、すっきりした結論がなかなかでにくいようである。

 この点は、今後の研究にまたねばならないが、しかし一応、次のように考えたらいかがなものだろうか。情動の仕組みも、本能的欲求と同じように、視床下部とその上位の大脳辺縁系
によって営まれていると。すなわち、情動の体験は大脳辺縁系で形成され、その表出は、視床下部の統合的仕組みによって実現されていると考えるのである。   。 実際に、動物の
扁桃核を電気的、化学的に刺激すると、怒りの反応がおこるという観察かおる。また一方では、梨状葉(旧皮質)と扁桃核をこわすと、狂暴性がなくなって、温和しくなることが、多く
の研究者によって、動物辛人間についてみられている。従って、このような結果を綜合すると、大脳辺縁系に、情動体験の形成の座を考えるのは、あながち無謀なことではなかろう。