中尾の研究によると、視床下部の中央下部を刺激すると、怒りや攻撃の反応をおこし、視床下部の前部を刺激すると、恐れや逃走の反応をおこすという。この恐れや逃走の反応と、人
間の扁桃核の刺激で不安と恐怖心がおこるという観察を考えあわすと、不安や恐怖の心の形成と発現の座もまた、怒りの場合と同じように、大脳辺縁系と視床下部にふりわけもてさいし
つかえなさそうである。

 `     以上述べたのは、不快感を基調にした情動と情動行動であったが、快感をおこ快感の仕組み す仕組みはどうであろうか。これに関連のあるのは。アメリカの実験心理学者オールズが考案した自己刺激法という巧妙な実験である。

 オールズは、金網の箱の一方の壁に、ネズミが前肢で押えるペダルをつけ、このペダルを押えると、その上にある穴からネズミの好きな餌がでてくるように仕掛けた。

 ネズミをこの箱のなかに入れると、はじめのうちはうろうろしているが、そのうちに、ペダルを押えると餌がでてくることに気付き、ペダルをひっきりなしに押しては餌をたべるよう
になる。つまり、学習が形成されたのである。

 そこで、このように学習が形成されたネズミの脳に、大脳辺縁系を中心にしたいろいろな領域が刺激できるように、電極を植えこんだ。そしてこんどは、ペダルを押すと、電極の先端 の場所が短時間刺激されるように仕掛けを加えたのである。つまり、ネズミがペダルを押すと、自分の脳が刺激されるわけであって、自己刺激法とよばれている(図60)。

 このネズミを箱のなかへいれてやると、あらかじめ学習しているから、ペダルを押す。ところが、刺激する場所を適当にえらぶと、ひっきりなしにペダルを押す。一時間に八〇〇〇回
以上もペダルを押すネズミもあるという。そして、そのままにしておくと、疲れはてて倒れるまで、ペダルを押しまくっているということである。

 ところが、刺激する場所が違うと。はじめに一回押しただけでやめてしまう。

 オールズは、たくさんのネズミの脳で、ペダルを押して電気刺激をうけるのを好む場所といやがる場所とを調べ、図60の下に示してある結果をえている。この図で、斜線のところは、
視床下部を含んだ大脳辺縁系の領域で、ペダル押しをさかんにする揚所であり、点のところは。中脳の網様体の領域で、ペダル押しをやめる場所である。なお、このような実験は、ネコ
やサルキイルカなどについても行なわれ、ほぼ同じ結果がでている。

 それでは、この実験の結果は、私たちになにを教えてくれるか。ペダル押しをやったときは、すくなくとも、その部位の刺激が、餌と同じように、なんかの欲求がかなえられてネズミ
は快感をおぼえていると考えられよう。快感がおこるから、また次の快感を求めるといった具合に、快感を求める衝動にかられてペダル押しをさかんにくりかえすのであろう。

 反対に、一、二回で押さなくなるところは、おそらく、その部位の刺激が、ネズミに不快感をおこすのであろう。

 オ、ルズは、快感をおこすと考えられる領域を、賞(または正)の系とよび、不快感をおこすと考えられる領域を、罰(または負)の系とよんだ。最近、アメリカやフランスで、意識
のある状態で、人間の脳の深部を刺激して、動物と同じように、賞の系と罰の系があることをたしかめている。すなわち、賞の系を刺激すると、快感や満足感をおぼえたり、笑いをとも
なった恍惚状態になったりする。この場合、同じように快感をおぼえるときでも、刺激する場所によって。食欲が満たされたときの快感であったり、あるいは性的快感であったりすると
いう。

 反対に、罰の系に属する場所を刺激すると、不快感や不安や恐怖心をおこしたりするという。

 さきの図でわかるように、快感をおこす場所が大脳辺縁系にあることは、怒りの心と同じように、快感という情動体験も、大脳辺縁系で形成されていると考えてよさそうである。もっ
とも、人間の実験では、賞の系と罰の系が、視床下部にあることはわかっているが、大脳辺縁系については、まだはっきりしていない。しかし、動物の場合と同じように、大脳辺縁系の
皮質部分にもあるに違いない。

 これまで述べたことを綜合してみると、あらゆる情動の体験は、まず大脳辺縁系で形成されていると考えてょかろう。そして、その体験は、視床下部に関わる表出の仕組みによって、
性神経系や自律神経系を働かせて、具体的な行動として表現されるのである。

 さらにまた、大脳辺縁系の上位にある新皮質は、ゴルフのイヌや、そのほかの実験から想像されるように、大脳辺縁系の情動の仕組みに抑制的に働きかけていると考えてょかろう。

 怒りと腹 怒ることを、腹がたっとか立腹するという。反対に、怒りがしずまることを、腹がいえるとか腹の虫がおさまるという。外国語でも、同じような表現があるようだが。なぜ
、怒りを腹に関係づけるのであろうか。

 言葉のあやといって片付けられそうもない。実際に、空腹のときや腹具合のわるいときには、気かかしゃくしゃして怒りっぽくなる。腹痛でもあると、気分はちっともすぐれない。

 アメリカのある心理学者が、子供が一番怒りの反応をおこしやすい時刻を調べてみた。すると、午前十一時半と午後五時であるという結果がでた。空腹の時刻に相当するのであって、
怒りと腹との関係はますます緊密でありそうである。

 大脳辺縁系の活動の水準は、原始感覚、すなわち内臓からでるイングルスによって大きく左右されている。従って、空腹や痛みのあるときには、健康なときとは違って、異常なインプ
ルスが上行して、大脳辺縁系の活動を、異常に高ぶらせていると考えられよう。すると、平生ならなんでもないことが、気むずかしくさせたり、怒りっぽくさせるのである。それとは反
対に、心よい満腹の状態は天下泰平である。

 世知辛い現代に生活する私たちの情動。私たちは、いろいろな手段で心のうさを晴しているが、内臓をすこやかにすることが、情動の高ぶりをしずめる大切な条件であることを忘れて
はならない。すこしオーバーな表現であるが、家庭の平和、社会の秩序、世界の安定は、まず腹の調子を整えることから、といえないこともなさそうである。