私がエ-ル大学で勉強していたとき大切にしていたのは、コーヒーメーカーが置いてある小さな部屋での雑談だった。大学院生や若いスタッフが、この部屋にふらっと立ちよる。そこで「どんなテーマがいま流行っているか」という類の話が出る。これは、教室の講義よりずっと有用な情報を与えてくれた。

 友人との会話の際に、自分の考えを持ち出してみよう。あらたまった研究会での議論でよりは、何気ない会話の中で、忌憚のない意見を聞けるだろう。思いもかけぬ視点からの意見もありうる。

 私は、インタビューの機会を大事にしている。話しているうちに、それまで気づかなかった視点を見出すことが多いからだ。インクビュアーの言葉に見出すのではない。私自身が思いつくのである。それをメモしている。インタビューを受けているのでなく、じつは、こちらがインタビューしているのだ(ただし、これは、インタビュアーが有能な場合のことである)。

 「野口先生は、講義の途中にメモを書いている。何を書いているのだろう?」と学生に不思議がられたこともある。話している途中でひらめ卜だことを、ノートにとっているのである(本の原稿にするため)。

 問題意識をもって本を読むのも、対話の一種である。「一種」というよりは、「非常に重要な」対話だ。読書とは、受動的に教えてもらうことではない。論文の飾りを見つけるためのものでもない。本の著者は論争の相すである。ただし、対話が成立するためには、こちらが問題意識をもっていることが必要だ。

 パソコンで書いたものを、紙に打ち出してみる。それを持ち歩く。読んでみて気づいたことを書き込む、あるいは、修正する。自分自身が書いたものなのだ、が、打ち出してあると、客観的に眺めることができる。つまり、対話が成立するのだ(これについては、第7章でもう一度述べる)。


長文章法:野口悠紀雄著より