読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

序論・本論・結論の三部構成で

 

 文章の構成について、昔から「起承転結」ということ、が言われてきた。しかし、これはもともとは漢詩の形式である。現在では、文学的エッセイで用いられる形式だ。論述文の場合は、これに従う必要はない。むしろ、「転」のところで別の話題が現れると(あるいはそれまでの論理展開が覆されると)、読者は当惑する。

 学術的な論文の場合には、序論・本論・結論の三部構成にするのがよい。面白みはないが、最初から妙技を求めるのでなく、手堅くやろう。

 これに従う場合、各部の内容は、つぎのようになる。ただし、あまり堅苦しく考える必要はない。

「―」序論

 序では、「何か問題か」を述べる。なぜこの問題を取り上げたのか、この問題を取り上げることがなぜ重要なのか、問題の背景は何か、という説明だ。例えば、つぎのように。税制改革は、構造改革を進めるにあたって最も重要な課題である。しかし、これまで、構造改革との関係では十分な議論が行なわれてこなかった。そこで、本稿では、この問題を取り上げることとする。なお、用語の定義、問題範囲の限定、前提も、ここで述べる。例えば、つぎのように。ここでは、国税の直接税に絞って議論を進める。なお、本稿で「所得」というのは、つぎのような意味であるとする。本格的な学術論文では、先行研究のサーベイも行なう。当該研究が、それらと比べてどのような位置にあり、何を付け加えようとしているかを述べる。

「2」本論

 分析と推論の展開である。

 学術論文の場合には、仮説を提示し、それをデータによって検証するという形をとる。

「3」結論

 学術論文では、結論をきちんと述べる必要がある。スペースが許せば、結論の含意、未解決の問題、扱わなかった問題、今後の課題などについて述べる。

 関連する論述をまとめるための「いれもの」を作る

 以上で述べた三部構成は、主として一万五〇〇〇字程度の本格的な論文の場合に必要とされることである。一五〇〇字程度の「短文」の場合には、あまり意識する必要はない。エッセイなどでは、三部構成にすると堅苦しく感じられることもある。

 ただし、その場合においても、関連する内容がばらばらにならないよう、十分注意する必要がある。このためには、全体を通しての論理構成をはっきりさせる必要がある。

 「関連した内容をまとめる」という作業は、主張、その理由、その意味するもの」を、それぞれはっきりさせ、グループごとにまとめることを意味する。場合によっては、「反対の意見、なぜそれを否定するか」などが加わる(第且早の3を参照)。

 こうした作業によって、「いれもの」を作るのである。これがしっかりできていれば、思いついたこと、気がつ卜たことを、いわば部品として、そこにはめこんでゆけばよい。

 逆に言うと、こうした構成が適切にできていないと、「主張を示して、その理由を述べ、その後で再び主張を述べる」というような堂々巡りになる。このような構成の文章は、読者にとまどいを与える。

 なお、以上で述べたことは、これまでの常識では、文章執筆の開始に先立って確定すべきものとされていた。つまり、ます論理構成と叙述の順序を考え、それができたところで執筆を開始する。紙に書く時代においては、これが準備段階における重要な課題だった。構成をよほどしっかりしておかないと、あとで直すのが大変な作業になるからだ。

 しかし、パソコンを用いて執筆する場合には、この作業を執筆作業と並行して進められる。パソコンなら、修正す入れ替えなどが自由自在にできるからだ。とにかく書き下してみて、読みながら順序を入れ替えればよい。

 ただし、パソコンを用いる場合においてさえ、かなり書き進めたあとでは、大規模な順序の改訂を行なうのは難しい。順序が変わると、論理の進め方が変わるし、また表現を直さなければならないからである(例えば、「前述の」とは言えなくなる)。この作業はかなり大変だ。だから、大霞かな順序は、できるだけ早い時点で確定する必要がある。

 しかし、あとの段階になっても、順序を組み替える必要があるとわかったら、たとえそれが大幅なものであっても、躊躇ぜすに行なうべきだ。「順序」はそれほど重要なのである。

 この作業のため、ある程度以上の長さの文章の場合には、目次を作ろう。そしてつねに全体を一望しつつ、構成をチェックする。また、原稿を紙に打ち出そう。パソコンの画面では、全体を一望して構成を見るのは難しいからである。

   * この他に、個々の文をどのように並べるか、個々の文をどのように整えるかという問題がある。これらは骨組みの構築よりはあとの段階で行なうべきことだ。。

長文章法:野口悠紀雄著より