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「わかりにくさ」の一般理論

 

 部分と全体の関係がはっきりしない

 私は、学位請求論文す課題論文、懸賞応募論文などを読む機会が多い。これらの多くは、「じつにわかりにくい文章」なので、直すことが頻繁にある。だから、「わかりにくい文章がなぜわかりにくいか」「それをどう直せばよいか」を、他の人よりはよく知っている。この章では、そうした経験を通じて得たノウハウを示した。

 ただし、ここで論じたことも、私自身が文章を書くときにも、ほとんどつねに悩んでいる問題だ。しかも、深刻に悩んでいる。その対処に「日夜奮闘している」と言っても過言でない。「ノウハウを示しか」と大見得を切ったものの、決して簡単に解決がつく問題ではない。そこで、以上で述べたことを一般的な観点からまとめてみることにしよう。

 わかりにくい文章の具体的症状はさまざまたが、それらの多くに共通する要素がある。それは、「部分と全体との関係が明瞭でない」ことだ。具体的には、つぎのとおりである。

 (I) 一つの文の中で、各部分(節す句、あるいは主語と述語)がどのようにつながっているのかが、明瞭でない。

(2)文と文とがどのようにつながっているのかが、明瞭でない。

(3)文章のまとまり相互間の関係が明瞭でない。

 目指すべき最終目的は、「文章を任意の箇所(一つの文の途中を含む)で切ったとき、そこまでの記述だけで、そこまでの意味がわかること」である。「それ以降に続く論述内容がおよそ予想できる」なら、もっとよい。つまり、「ある範囲を読んでから振り返って初めて全体の意味がわかる」ようであってはならない。

 この問題への対処が難しいのは、文章は一次元構造だからである。しかし、論理は通常立体構造をしている(場合によっては、四次元以上になっている)。多次元のものを一次元で表現するのは、至難のんきなのである。

 多次元構造を示すには、図を使うなどの方法もある。しかし、この章では、これに頼らず、あくまでも一次元に制約された文章の範囲内で、どのように克服できるかを論じた。

 「文章が一次元」と痛感したのは、しばらく前に、「アウトラインープロセッサ」を使ったときのことだ。これは、文章のレベルを明らかにしながら書き進むことができるワープロである。たとえば、「章」というレベルを選択すると、第1章から最終章までが表示される。第2章を選んで「節」を選択すると、第2章の節がすべて示される。

  一見すると、立体的な論理構造が明確になるので、論文執筆の場合には便利なような気がするのだが、実際にはあまり普及しなかった(私もしばらく使っただけでやめにしか)。文章は本質的に一次元であり、アウトラインープロセッサで表示すると、かえって書きにくくなる(人間の思考が、一次元にしか進まないためかもしれない)。文章の全体構造を把握するには、アウトラインープロセッサより、スクロール速度の速いエディタのほうが便利だ。

 なお、第4章で述べた「比喩」は、複雑な論理構造を示すのに大変強力な方法だ。適切な比喩によって一撃で仕とめられれば、ここで述べた問題のかなりの部分は解消される。

  * これは、木下是雄氏が、名著『理科罘の作文技術』の5で、レゲットの言葉として述べていることだ。

 なお、この章で述べたこと全体が、・『理科系の作文技術』の5で述べられていることと関連している。私はここが『理科系の作文技術』の最重要の箇所と思っているのだが、この箇所はわかりにくい(「逆茂木構造」という喩えもわかりにくい)。木下先生も、この問題にはてこずっている。

長文章法:野口悠紀雄著より