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わかりにくい文章の書き方

 

 正確であり、しかもわかりにくい文章

 この節の表題は、誤植ではない。わかりにくい文章を書かねばならぬ場合も、この世には存在する。言い訳をしたい場合、責任回避をしたい場合、あるいは、将来の方向づけに関して明確なコミットメントをしたくない場合などである。役人が書く文章の八割以上は、これに該当する。国会答弁の原稿は、その典型である。

 内容の貧弱さを暴露させないために、難解さの壁を築くことが必要とされる場合もある。こう考えている人は、学者に多い。同僚学者諸氏にも「難解さこそが重要」と考えている人が多いから、難解さを競いあうことになる(本当に優れた書き手の書いたものなら、相手に理解してもらおうという迫力に満ちているから、じっに素直に頭に入る)。

 わかりにくい文章を書くには、これまで述べた注意 をひっくり返せばよい。ただし、すべてではない。主語と述語の対応などは、正しくなければならない。

 わかりにくい文章とは、間違った文章のことではない。これは誤解が多い点なので、注意を要する。間違った文章を書くと、批判の対象となる。「正確であり、しかもわかりにくい」ことが必要だ。これができるかどうかで、悪文の専門家になれるかどうかが決まる。これまで述べた症状についていうと、「泣き別れシンドローム」は許される(むしろ推奨される)のに対して、シンドローム」は許されない。前者は誤りではないのに対して、後者は誤りだからである。

 一番効果的なのは、文のレベルでは複文を多用し、一度読んだだけではわからない複雑な構造の文にすることだ。また、修飾語と被修飾語の関係を曖昧にし、いかようにも解釈できる余地を残す。文脈のレベルでは「意味不明瞭」を目的とする。つまり、論理関係を不明瞭にするのである。多様な解釈が可能であれば、もっとよい。

 わかりにくい文章を書くノウハウは、「悪魔の知恵」である。読む側としては、それに惑わされない必要がある。

長文章法:野口悠紀雄著より