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悪文の代表選手(そのI)「三読不可解」文

 

税法の条文の多くは、主語と述語の対応関係がすぐに読み取れない構造の複文にたっている。非常に読みにくい。「一読難解、二読誤解、三読不可解」と言われるゆえんだ。例えば、つぎの文章を見よ。

 法人税法、第三五条の二 内国法人が、各事業年度においてその使用人としての職務を有する役員に対し、当該職務に対する賞与を他の使用人に対する賞与の支給時期に支給する場合において、当該職務に対する賞与の額にっき当該事業年度において損金経理をしたときは、その損金経理をした金額のうち当該職務に対する相当な賞与の額として政令で定める金額に達するまでの金額は、前項の規定にかかわらず、当該事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。


 なぜわかりにくいのか? これまで指摘した多くの要素が入っているからだ。

 (1)最初の「内国法人が、」がどこにつながるかが、ただちにはわからない。

 (2)「しかときは、」「金額は、」と似た表現が続くので、相互関係がわからなくなる。

 (3)修飾語が近くにない。

 この文は、法人税法の条文中では「たちがよい」ほうである。こうした文章を初めて読ん だときにすっと頭に入るとしたら、その人は少しおかしいのではないかとさえ、私は思う。つぎは、日本国憲法前文の一部である。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立だうとする各国の責務であると信ずる。

 1で「複文の問題点」として指摘したことが、ここに見事に現れている。まず、「あれらは」と「いづれの国家も」と主語が二つ現れ、相互関係がわからない。わからないでいるうちに、「法則は」、「従ふことは」と、また土語が二つ現れる。文章の最初に主語を複数並置して読み手を眩惑させるというのは、どうすら法文作成家の常套手段であるようだ。

 しかも、「政治道徳の法則は、普遍的なものであり」という文が、全体の中でどんな位置にあるのかがわからない(この文中に読点があるのもおかしい。「主述泣き別れシンドロームが発生すると、読者はペンディング状態に置かれる」と書いた。この文章を読んでいると、それを実感できる。まさに「宙に浮いている」としか表現できない。

 さらに、「政治道徳の法則」とはどのような内容のものかちんからない。「普遍的なもの」とされているし、「従うのは責務」というのだから、相当重要な法則だろうとは察せられるが、「そんな法則は社会科で習わなかったなあ」という程度の感想しか思い浮かばない。そもそも、「政治と道徳」とはどう関連しているのだろうか。疑問は深まるばかりである。

 ところが、何と、この英語訳を読むと、意味がただちにわかってしまう(本当は英語訳でなく、「英語原文」だが)。

長文章法:野口悠紀雄著より