読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

国内にいても生きた英語が十分身につく

 文化といっしょに言語を学ぶべきだといったが、国内でそれを習うかぎり、英語圏の文化を通じて英語を習得することは不可能ではないか  という意見もあろう。いっけん筋の通った考えだが、じつはまったくそんなことはないのである。同様に、外国語は幼少期に学ばないと(少なくとも十歳までにとが、いや七歳が限界だとか、いろいろな意見があるようだ)、その後、いくら熱心に勉強しても十分にマスターすることができないという考えもある。だが、これもやはり事実ではない。

 

 その国で育たなくても、また大人になってからでも、外国語の習得は十分に可能なのである。このことを実証した人に、トロイ遺跡の発掘で有名な十九世紀の考古学者ハインリッヒーシュリーマンがいる。一般的には信念の偉人とされている。しかし、若くして莫大な遺産を受け継ぎ、退屈しのぎで考古学に熱中するようになったという説もある。外国語習得ももう一つのヒマつぶしだったというのだ。

 

 彼はどうすれば、母国にいながら外国語をマスターできるかをじっくり研究した末、そのノウハウの開発に成功した。彼はそのポイントを私のノウハウと同じく、「赤ちゃんが言葉を覚える過程」にあるといっている。ここで告白しておけば、木書で紹介している私のノウハウはこのシュリーマンの方法を踏襲したもので、ぼかにも共通点が多い。もちろん相違点もある。シュリーマンは世界の多くの言語を包括するアルファベットの言語圏に生まれ、アルファベット言語を母国語として育ったため、そのノウハウもそうした環境を基礎として形成されている。アジアの漢字圏に生まれた私とは、その点て決定的に異なっているのだ。

 

 たとえばアルファペット文化圏の諸言語は、その構造や属性がたいへん似ているので、そのなかの一つをマスターすれば、あとの言語の習得にそれほど苦労することはない。実際、ヨーロッパへ行くと、イタリア語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、オランダ語デンマーク語、スウェーデン語など、よく似た言語を一括して、自由自在に使いこなす人が少なくないのだ。シュリーマンも(私にはない)このアドバンテージを生かして言語の習得ノウハウを開発し、実際に二十二か国の言葉を―挨拶や簡単な会話程度にとどまらず―思いのままにあやつったという。

 

 このシュリーマン式ノウハウのなかで、わが国の人たちが苦手とするのは、二日に一時間ほど外国語の塾へ通って、積極的に言葉の練習をせよ」という点だろう。とくに、自分から積極的に外国語を話すということが韓国人にはなかなかできない。 私かドイツで会った留学生たちも語学コースでは「沈黙は金なり」とばかりに、うつむいているのが普通たった。なかには、クラスメイトの外国人がぞんざいな言葉づかいをするのが気に入らないといって、世問話すらしない人もいた(ドイツ語にも韓国語と同じように敬語やぞんざいな言葉づかいもあるが、彼らは人間関係の親密度によってそれを使い分ける。彼はそれを韓国流に理解していたので腹を立てたのである)。

 

 韓国人が人前で話をするのは、そうする自信がついてからのことが多い。それも人から求められてだ。頼まれもしないのに、人前で自分の意見を主張するのは陽譲の美徳に反するという文化があるからだ。これは母国語でも外国語でも変わらない。いっぽう、ドイツの子どもたちは、小学校からギムナジウム(大学進学前の中等教育)にいたるまで、授業時間にどれほど積極的に発表したかによって評価も異なってくる。

 

 これはドイツ国籍の韓国人が教えてくれたことだが、ドイツ人は幼いときからそのように教育されているので、自分の意見を積極的に述べるのをためらう人はまれだという。わが国では逆に、それを推奨するどころか、抑制する方向でしつけや教育を行ってきたのである。

 

 私の高校時代を振り返ってみても、手をあげて発表したのは、黒板で数学問題を解くときぐらいだ。教師が熱心に教えてくれるものをかたっぱしから覚えていけば、よい成績のとれる教育方法であったから、そこでは、話すよりも聞くことが極端に垂視されていたのである。そんなシステムの中で、外国語をはじめすべての教育を長さにわたって受けてきた人間が、外国へ行き、多くの人の前で積極的に意見を述べろ、しかも外国語でといわれても、それはうまくできるほうが不思議なのである。

『英語は絶対、勉強するな』チョン チャンヨン著 (定価1300円)より