日常生活を通じて言葉と文化の理解も深まる

 いたずらに危険視するばかりでは、その国の文化を真に理解することはできないものだ。また、いったんそれを理解できれば、恐れる要素など何もないことがわかる。そして、文化の埋解とは言葉をマスターしていくことで深まるのだし、その生きた言葉を学ぶには映画が最適なのである。映画を通じてその国の言葉と文化を理解すること。それがこの第四ステップの目的であり、また、その成果でもある。

 

 逆も真なりで、ある国の言語に精通するためには、その国の文化を十分に理解することが前提条件となる。たとえばクリントン大統領やビルーゲイツのアメリカ。自由の女神とハンバーガーのアメリカ。その程度の断片的で、表面的な理解では、英語という言語に溶け込んでいるアメリカという国の文化の真の姿を知ることはできない。

 

 はじめてアメリカを訪れたとき、私を案内してくれた韓国人ガイドは、アメリカでの生活が二十年にもなろうとするのに、アメリカ文化を韓国の社会規範に合わせてしか解釈していなかった。つまり、アメリカでは性が解放されているせいで男女関係が乱れており、離婚率もたいへん高い。その結果、欠陥家庭の出身者が多く、青少年問題が社会の安全を脅かしているうえ、黒人の差別問題もまだ解決されていない。アメリカとは体のあちこちが「重病にかかっている巨大な恐竜」だIそれが彼のアメリカ観であった。

 

 そして、自分の生まれた国がどれほどよい国かを強調し、ロサンゼルス暴動のときに自分の店さえ壊されなかったら故国に帰れたのだとため息をついていた。彼は最後に、私に向かって「祖国を愛しなさい」とつけ加えた。

 

 私はその話を聞きながら、心がひやりとするのを感じた。こうしたナショナリズムのにおいがする観念的な視点だけから他国をみていたら、文化理解などとうていおぼつかない。ある国、ある民族の文化をほんとうに理解するためには、言語もそうだが、お互いの文化的相違を客観的に見極め、それを認め合う態度がなにより大切だ。それでこそ、興味本位のエピソードや間違った情報に惑わされないですむことになる。

 

 他国の文化を理解しようとするとき、私たちに必要なことは、彼らが朝起きてまず何をし、会社でどんな会話を交わし、会議ではどんな議論が出て、昼食はどこでどんなものを食べるのかといった、ごくささいな、ありふれた日常生活の姿だ。その具体的な事実を通じて、彼らの文化の普遍性を知ることができる。するとどんな国でも、人間の思考や行動にそれほど大きな違いけないことがわかってくるはずである。

 

 たとえば欧米においても、だれもいない夜道では信号が守られないし、男女がはじめて会うときにはぎごちなさと喜びかおり、子どもに対する親の期待、都会におけるドライな人間関係と農村における情感あふれる近所づきあいなどは存在する。そこには私たち韓国人となんら変わらない、人間の普遍的な生活の姿が浮かび上がってくる。もし違いがあるとしても、それは本質的な相違ではなく、単なる様式の違いにすぎないのである。

 

 性の解放の問題にしてもそうだ。アメリカに比べれば、韓国の離婚率は低く、性犯罪も少なく、いっけん堅実な家庭が多いようにみえる。だが、ある女性団体が最近言及したように、わが国の都会の男性たちの婚外セックスの頻度は、先進国の例を追い越しているかもしれない。また離婚率が低いことは、かならずしも夫婦間の幸福を表すものではない。むしろアメリカのようにさっさと別れたほうが、あきらめ半分、偽り半分で夫婦の形式だけを守っていくよりは、より幸せな人生を送れるかもしれないのだ。

 

 ともあれ、こうした文化理解が深まれば深まるほど、私たちの英語力も日進月歩で向上していくのである。

『英語は絶対、勉強するな』チョン チャンヨン著 (定価1300円)より