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英語を「自動貯蔵」できるレベルに達する

 ちなみに、言語の習得においても一般的な認識の原理  高レベルの内容が理解できれば、それより低レベルの内容はおのずと習得できるという法則が当てはまる。二次方程式を解ける人は足し算も簡単にこなせるのである。したがって最初からむずかしいものに挑戦すれば、それよりやさしいものについては自然に会得できるようになる。

 

 たとえば、私がドイツ留学の初期に習得したドイツ語は、大学での講義や討論に適した「ハイレベルなドイツ語」だった。日常会話とは相当な隔たりがあったが、それかおる程度の水準にまで達すると、日常会話のほうも自然に頭の中に入ってきて、完全に自分のものになる現象が生じたのである。

 

 だが、その逆、低レベルの内容に習熟しても、高水準のものを自然に会得することはありえない。

 

 当時、ドイツの韓国人留学生には、日常会話はある程度できるが、ハイレベルのドイツ語を自在にこなすことができないという特徴があった(彼らが中学生レベルの語学コースで、しかも韓国式の勉強法でドイツ語を学んでいたからだろうと思われる)。そのせいか、彼らは自分の書いた論文を「高度な」ドイツ語で書き直してくれるドイツ人学生と知り合いであるケースが多かった。

 

 初稿は自分が書き、それをドイツ人に推敲してもらうわけだが、みんなそれが当たり前だと思っているようだった。だが、いくら論文が完璧なドイツ語で作成されていても、最後の口述試験には本人が臨まなくてはならないのだから、ごまかしはきかないはずなのに、それでも以前から、こういうやり方でドクターを取得してきたのだからと、意に介するふうもないようだった。

 

 私の心配は現実のものとなった。案の定、口述試験で引っかかるか、通過しても条件つきであるケースが多かったのだ。口述試験にはもともと、その論文を本人が書いたものかどうかを判定する意味合いもあったから、そこで話される言葉が低レベルのものであれば、論文内容の信憑性を疑われるのは当然である。質問にまともに答えられないと、審査の教授たちはドイツ人特有の執拗さで最後まで詰問をやめない。学生はしどろもどろになって、絶句したりつっかえたり、聞き取れなくて問い直したり、冷や汗とともに、いままでの苦労が水の泡になる。

 

 しかも、彼らは自分の論文に関する想定問答を丸暗記していたから、途中でひとたびそのポイントがズレると、対策の立てようもなかった。その口述試験に落ちると、論文を別のテーマに変えて新しく書き直さなくてはならない。いうなれば、留学を初めからやり直すようなものなのに、そうした実情を聞いても、留学生たちは相変わらず、誤った方法を使いつづけるのであった。

 

 話が横道にそれたが、この第四ステップで現れる興味深い現象の一つが、「相手の英語水準やスタイルに自分の英語がついていくような感じになる」ことである。つまり、会話の相手が早口なら、いつの間にか自分も早口になっている。一語一語ゆっくりと、はっきり発音する相手には、おのずとゆっくり明瞭な発音を心がけている自分を見いだすようになるのだ。こういう状態になったら、こう考えればよい。

 

 「おれもついに、英語を『自動貯蔵』できる体質になったなi」

 

 英語が自動貯蔵されるとはつまり、相手の話す内容や言語水準や話し方などをすぐに理解し、それに自然に同調できるだけの力が身についたということを意味している。貯蔵されるのは言葉づかいや言いまわしだけではない。語彙や文章のパターンまでが自動的に理解でき、耳で聞き、目で見るほとんどすべての英語がすんなりと自分のものになる。「ああ、あんな状況のときには、あんな表現を使うのか」と思った瞬問に、そのとおりのことが自分の頭に入力され、さらに再現できるようになるのである。

 

 「言語習慣の転移」とても名づけたいこの現象は、じつは母国語についてもみられる。たとえば語り囗のおもしろい人がいるオフィスでは、いつの間にか、ほとんどの人がその話し方に染まってしまうことがある。それと同じことが、この第四ステップにおいて、あなたの英語にも起こるのだ。かなりハイレベルの英語力が習得できる段階といっていいだろう。

 

『英語は絶対、勉強するな』チョン チャンヨン著 (定価1300円)より