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秋のスピーキング

 

 夏が終りに近づくと,ディベートから得た成果であるintelligenceを中心に,自信をもって相手に売り込もうとする。だが,そこには同業者がいる。競合相手といえども夏の時代のように正面衝突はやらない。時には妥協をするといった交渉の時代に入る。AかBかのいずれかに決定するというのではなく,Cという妥協点を見出すか,あるいは第3の道を選択するといった柔軟思考が生まれる。新しい価値観(value)はこのようなところで生まれる。この時期の英語は,直線に伸びないので,少しはスピード・ダウンする]司のとり方が巧くなる。


冬のスピーキング

 夏のスピーカーは,秋のスピーカーを目指し,同じ夏のスピーカーとcompetitive-cooperative relationshipを保つことができ,人問的に円くなった秋のスピーカーは,冬のスピーカーを思慕する。冬を愛する人は,根雪を溶かす大地のように,心広き人である。これほど円くなれば,闘いという意識から離れ,自然と融和し,幼児の如くなり,春の子供達の教育に専念できるのではないだろうか。ちょうど校長先生のように。

 45歳の私などは,秋の前半で,まだ闘争心ムキ出しなところがあり,子供の教育に余生を献げるといった心の余裕はなく,その時期を夢見ながらも,まだ学問をし,自らと闘い続けねばならないと思っている。

 冬の時代になれば私がどう考えるか,今のところわからない。だが,丁度冬の時代(60歳)に入られた頃の私の師,西山千氏の思い出話を述べさせていただきたい。

 私の夏の中頃といえば,同時通訳のブースの中で,西山千氏からシゴキを受け,苦しんでいた米大使館勤務時代の頃だ。

 同時通訳の最中に失敗すれば,いつも紙切れに注意とコメントが回ってくる。それがいやでいやでたまらなかった。と,ある口,私が同時通訳をしている時,いつものように1枚のメモが回ってきた。

 いけねえ,また間違えたか,と思い,そのメモを読など,「同時通訳とはむずかしいですね」と書かれてあった。ふと横を振りむくと,60歳を越えた師匠の西山千氏が,幼児のような顔でニッコリ笑っておられた。春の顔であった。