知り、喜び、意欲する脳

 

 漱石の「草枕」の冒頭に

  智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。という文句がある。私たち人間の高等な精神活動である知、情、意を、心にくいま
でいいあらわして申し分がない。

 ここで、知とは知覚、認識、思考、情とは喜び、悲しみの感情、意とは意欲、創造の構神の代名詞である。ところで、私たち人間で一番よく発達しているこれらの構神が、人間の脳で
広い領域を占めている連合野で営まれていることは想像にかたくない。知覚する脳 そこでまず、図36を参考にしながら、頭頂葉後頭葉にまたがる連合野からみてゆこう。

 体性感覚野、視覚野、聴覚野でとりまかれたこの領域は、知の精神の座である。8で述べたように、これらの感覚野にとりまかれた領域では、感覚した内容をもとにして、知覚し、認
識し、思考する構神活動が営まれている。

 従って、この領域がこわれると、パチンコの玉を手にしても、皮膚の感覚は麻痺していないのに、それがパチンコの玉であることがわからなくなる(失認)。目は普通にみえるのに、
花をみても、それが赤いバラの花であることがわからなくなる(構神盲)。耳はきこえるのに、声をきいても、どんな意味なのかわからなくなり、そのために、まともな言葉が話せなく
なる(感覚性失語)。

 また、この連合野は、時間、空間を認識するという、きわめて高等な構神の座でもある。マッチでタバコに火をつけるという動作を例にとろう。いとも簡単な動作であるが、分析して
みると、マッす箱を手にとる↓箱をあけてマッチの軸木を一本とりだす↓マッチをする↓火を夕バコにもっていってつける、といった具合に、いくつかの動作が、時間的に順序よく、あ
いついでおこっている。

 私たちは、この動作を、なんの苦もなくやっている。ところが、この連合野がこわれると、一つ一つの動作はうまくできても、動作が前後してきて、結局、マッチをすって火をつける
ことができなくなる(失行)。

 また、この領域がこわれると、造型の構神の働きがなくなってくる。たとえば、マッチの軸木で三角形を作れといっても、どうしてもできない。空間を認識する働きがなくなったため
である。

 ところで、このような知的な精神活動は、過去の体験や習いおぼえた知識(記憶)1断する脳 をもとにして、判断するということにほかならない。従って、記憶と判断の仕組 みは
、あらゆる知的構神活動を支える基盤である。そしてこの仕組みが、近年、ペンフィールドたちの研究によって、側頭葉にあることがわかったのである。

 ペンフィールドたちは、局所麻酔で脳を手術した1000名以上の患者について、側頭葉を刺激して、記憶を再生させたり、判断の間違いをおこさせたり、あるいは、恐怖感辛孤独感
をおぼえさせたりすることに成功したのである。

 ある患者の側頭葉を刺激すると、「ああ、Oh Marie「 Oh M[回どの耿だ。誰かがうたっている]といった。そこで、刺激をやめ、しばらくしてからまた刺激したところ、
「同じ歌のつづきがきこえだした」といった。電気刺激で、前にきいたことのある歌の記憶が再生したのである。

 別の患者は、街でみたネオンサインが、まざまざとみえるといった。

 また、ほかの患者では、みえているものが、急に遠方へとおざかって小さく感したり、音が思いがけなく近づいて大きな音になったりした。あるいは、いま体験していることが、以前
に、みたり、きいたり、考えたりしたことがあるような錯覚をおこした。これは、精神医学で、既視体験とよばれる現象である。

 これらはいずれも、刺激によって、判断の間違いがおこったのであって、側頭葉に具わっている判断の仕組みが、電気刺激でかき乱されたためである。ペンフイ、ルドは、このような
実験から、側頭葉は記憶率判断の働きがある領域だと考え、ここを判断野と名づけている。

 刺激実験で想定された側頭葉の働きは、破壊実験によってもたしかめられている。たとえば、治療の目的で両側の側頭葉を切りとったり、あるいは、病気で側頭葉の働きがわるくなっ
たりすると、記憶の障害がおこってくるのである。

 ところで、大脳皮質のなかで、その正体が一番わかっていなかったのは前頭葉で

 ある。実験動物としてよく使われるイヌやネコに、前頭葉がほとんどないことも、研究を遅らせた原因であるが、側頭葉のように、刺激実験で、うまくそこの働きをつかむこと
ができないということも、大きな理由である。

 ところが幸いにも近年になって、治療の目的で前頭葉を切りとる手術がたくさん行なわれるようになったので、その正体が、やっとはっきりしてきたようなわけである。

 一九三五年の夏、ロンドンで開かれた国際神経学会に出席したポルトガルリスボン大学のエガスは、脳生理学のパイオニヤ、、フルトンが、サルの前頭葉を切りとった研究発表をき
くにおよんで、構神病を外科手術で治療しようという、彼がかねがねもっていた構想を実行に移す決心をするにいだったのである。そして、その年の秋、ひどい欝病の患者の前頭葉を切
りとるという、きわめて大胆な手術をやったのである。

 これが、一時大変はやった前頭葉ロボトミ、(前頭葉切り)の最初の手術である。この手術の 治療効果はともかくとしても、この貴い人体実験によって、前頭葉で営まれる精神がか
なりはつきりわかってきたことは、脳生理学に対する大きな貢献である。

 前頭葉を切りとると、知能や記憶の能力には障害がおこらないが、人格や性格が目だって変ってくるというのが、みんなの一致した意見である。すなわち、積極的になにかしようとい
う意欲がなくなる、仕事に情熱がもてなくなる、執着心がうすらぐ、取りこし苦労をしなくなって楽天的になる、計画性がなくなる、将来に対する思慮分別が乏しくなる、感情の動きが
浅薄、単純になる、といったような変化が目についてくる。

 なるほど、人格や性格が変ったといえる。それでは、どんな構神作用がなくなったために、このような変化がおこったのだろうか。それがわかれば、前頭葉で営まれる精神作用は想定
できるはずである。そして現在、前頭葉切りによっておこる精神状態の変化から想定して、前頭葉は、創造(意欲)、企画。感情などの構神が営まれる座であると考えられている。たし
かに、さきに述べたいろいろの精神状態の変化は、創造、企画、感情の構神活動の落脱によって説明できる。

 考えてみると、これらの構神は、私たち人間の行動を操る一番重要な精神活動といえよう。どんなに知能、技能がすぐれていても、これを発揮しようという意欲がなくては、宝の持ち
ぐされである。どんなに知識をうけいれる体制ができていても、うけいれようとする意欲、すなわち学習の意欲がなければ、知識の向上、技術の発展は望めない。

 私たち人間が、教養を身につけ、文化を形成することができるのは、一つにかかって、前頭葉の創造、企画の構神があるからこそである。家庭生活、社会活動……あらゆる人間行動は
、この構神活動によって推進されているのである。

 ところで、創造、企画の構神は、私たちを積極的行動へかりたてている。構神の向上発展を計るうとする努力がおのずからわきいずるゆえんである。そして、その向上発展の努力と実
現に、私たちは喜びを感じるのである。そして、その阻害と挫折に、悲しみを感じるのである。このように考えると、創造、企画の精神が営まれる前頭葉に、感情の座があることは、理
の当然といえよう。

 私たち人間に一番よく発達している創造、企画、感情の構神が、前頭葉に座を占めていることは、動物の貧弱な前頭葉をみてもよく理解できる。大脳皮質全体の面積に対する前頭葉の
比率は、人間の三〇%に対して、チンパンジ、一七%、イヌ七%、ウサギニ %である。

 このことは、2と3で述べたように、系統発生的、個体発生的にみて、前頭葉の発達が乳幼児や古代人類でわるいことからも、容易に想像されるところである。

 以上述べたように、大脳皮質の後半部の頭頂葉後頭葉、側頭葉は、知の精神の座であり、これに対して、前半部の前頭葉は、、情と意の構神の座といえよう。あるいは、後半部でイ
ンプッ卜されたもろもろの情報が、処理按配されて、前半部から行動としてアウトプ。卜されるともいうことができよう。

 なお、連合野で営まれる精神は、大脳皮質だけで作りだされるものではない。大脳皮質と密接な線維連絡をもっている視床との間の、複雑微妙な相互作用によって行なわれていること
はいうまでもない。また、側頭葉に記憶の仕組みがあるというが、あとで述べるように、実際に印象が記銘されるところは、大脳辺縁系のなかの海馬(古皮質)を中心にした領域である
と考えられている。