記銘の仕組み

 

 それでは、これらの領域で、記銘がどんな仕組みで行なわれているか。ほかの精神活動と同じように、記銘の仕組みも、複雑な神経細胞の連鎖が作る閉回路のなかのイングルスの流れ
と考えられている。そして、一つ一つのことがらの記銘には、それぞれ違っベ(タンの閉回路が作られていると考えられよう。

 かつては、記憶の保持は、イングルスが閉回路をたえず廻っているときだと考えられていた。しかし、現在は、含まったパタンの閉回路を、インプルスがいつでもすぐに廻りうるよう
になっている状態だと解釈されている。

 そのためには、閉回路を組立てている神経細胞連鎖のシナプスが、ほかのシナプスよりも、イングルスをより伝達しやすいようになっていなければならない。いわば、シナプス抵抗の
減少である。

 この仕組みについて、いろいろな考えかたされている。圭す第一は、あるシナプスをインプルスがたびたび通ると、そこに構造的な変化がおこるだろうというのである。ちきっと、筋
肉をきたえると、筋肉細胞が肥大するように、シナプスを形成している神経線維の末端の終末ボタンが大きくなったり、数がふえたりして、その結果、シナプス抵抗が減少するという。
この考えを支持する事実として、近年、刺激によって終末ボタンの数がふえたり、大きくなったりする現象をみている。

 第二は、シナプス伝達の実体であるアセチルコリンのような伝達物質が、よりたくさん分泌されるようになるのだろうという考えである・最近、シナプスに電気刺激によってインプル
スをたくさん送りこむと、シナプス前部膜にある、伝達物質を含んだシナプス小胞か膜の表面に移動してくることが観察されている。また逆に、ウサギの網膜で、双極細胞と錐状体、光
の受容器との間のシナプスにあるシナプスホ胞か、数日間完全な暗闇におくことによって減少するという。従って、シナプスをたびたびイングルスが通ると、より多くの伝達物質が分泌
されるようになるから、シナプス伝達の抵抗は減少することになるわけである。

 そのいずれにしろ、インプルスがたびたび通ることによって、はたして、シナプス伝達がよくなるかどうか、生理学的実験による証明が必要なわけである。そのために、脊髄の単シナ
プス反射が検証の手段に使われている。

 感覚神経が通る脊髄の後根に電撃を加えると、その感覚神経が、直接にシナプスしている脊髄前柱の運動神経細胞の神経線維(前根)に、反射性の電位変動が現われる。単シナプス
射によっておこったものであって、この電位変動の大きさは、シナプス伝達の状態を示してくれる。

 後根を高い頻度でしばらく電気刺激して、そのあとで単シナプス反射を調べてみると、反射の大きさが、刺激前よりもずっと大きくなり、しかも、この状態がしばらくつづく。この現
象を強縮後増強というが、シナプスの反復活動によって、伝達の仕組みがよくなり、かつその変化があとまで残っていることをはっきり示している。

 この実験は、シナプスを人工的に刺激して伝達がよくなることをみたのであるが、自然刺激(筋肉の筋紡錘からでるインプルス)によっても、同じような効果がおこることがたしかめ
られている。ネコの脊髄で、片側の後根を切って、下肢からくる感覚のインプルスが脊髄にはいって運動神経細胞に働きかけないようにして(シナプスの不使用)、四十日後に、切らな
かった反対側と切った側とで、単シナプス反射を調べてみると、図のAで示してあるように、反射の電位変動の大きさも、反復刺激後の強縮後増強の程度も、切った側の方がずっとふさ
い。つまり、シナプスが長い間使われないと、伝達の働きがわるくなったわけである。こんどは逆に、ネコの片側の後肢の長指屈筋を支配する神経だけ残し、ほかの筋肉を支配する神経
を切って、長指屈筋だけをよりはげしく使わせるようにすると、反対側の長指屈筋による単シナプス反射に比べると、よく使った側(切った側)の方が、単シナプス反射の大き
さ(A)も、反復刺激後の強縮後増強の程度(T)も、共に大きくなっている。つまり、シナプスがよく使われると、伝達の働きがよくなることを示している。このような現象は、脊髄
の運動神経細胞でみられたことであるが、脳細胞でも同じようなことがおこっていると考えられる。いなむしろ、もっとはっきりした形でおこっているのではないかとも想像されている

     近年、神経細胞のレベルで、記憶の仕組みを考えようとする分す生物学的な研究が、盛んに行なわれている。神経細胞の細胞質には、リボ核酸(RNとか非常に多い。

 細胞質は、約二す種のアミノ酸の複雑な組合せによって合成された千種類以上の蛋白質からできている。そして、リ、ボ核酸が、この蛋白質の合成に直接関係していることが、最近明
らかになったし、また、神経細胞を刺激して活動させるとリボ核酸がまし、神経細胞を働かさないようにすると減少することもみられている。

 この事実は、神経細胞が、シナプスを介してイングルスをうけると、細胞質を組立てる蛋白質の構造に、わずかではあるが変化がおこることを示唆している。もしそうであれば、同じ
インプルスがくりかえしやってくると、あるきまった型の蛋白質が合成されるに違いない。これほとりもなおさず、細胞質へ痕跡を残したことであり、神経細胞は記憶したということに
なろう。この考えで、すべての記憶の仕組みが説明されるかどうかは別としても、将来の発展が大いに期待される興味ある事実である。

 さきに述べた伝達物質の分泌がますこと、細胞質の蛋白質の構造が変ることは、いずれも時開かかかる物質過程である。記銘にある時開か必要だという次の実験は、記銘の仕組みの基
盤に、物質変化の過程があることを示唆している。

 ハムスターで、迷路や逃避条件行動を利用して学習を行なわせるときに、一試行の四時間後ごとに電気ショックを与えて昏睡状態にしても、学習にはなんの影響もおこらない。ところ
が、電気ショックを一時間後にやると学習がいくぶんわるくなり、十五分後にやるともっとわるくなり、五分後に電気ショックを与えるといくらたっても学習が形成されないという。

 これににたことは、人間で電気療法のときにみられており、ショック療法をうける直前のことは記憶として残らない。

 そのほかに、グリア細胞シナプス伝達に関係しているという考えから、伝達がよくなることをグリア細胞の動きで説明しようとする考えもある。。まだ実証されていない。

 以上述べたように、記銘の仕組みは、基礎になる現象が、やっとわかりかけた段階であって、その全貌が神経生理学的に説明されるのは、かなりさきのことのように思える。