記憶し、学習する脳

 

 情報を処理する電す計算機が、おこがましくも人工頭脳、考える機械などとよばれるようになった。計算がはやくなったせいではなく、記憶装置ができたためである。

 しかし、記憶ができるといっても、一つの計算が終ったらご破算しないと、次の計算にかかれない。つまり、前の計算の記憶が残っていては駄目である。

 ところが、私たち人間は、きのうの記憶の上に、あすの記憶を積みかされてゆく。私たちが。身に教養をつけ、文化を形成しているのは、私たちに、学習して記憶を積みかさねてゆく
能力が具わっているからである。機械は、×年型、×年式だけであるが、人間では、年季平年の功がものをいっているゆえんである。

 私たちの日、の体験は、脳のどこかに痕跡として残り、痕跡は反復によって強められる。これを記銘という。そして、記銘されたものは、必要に応じて再現し、想起することができる
。この全体の仕組みを記憶といい、反復によって記銘を強めることを学習という。

 脊髄にも痕跡は残るし、ミミズや夕コのような簡単な神経系をもった動物にも学習させることができる。しかし、人間がより高級な学習ができるのは、よく発達した脳をもっているか
らである。

 記憶率学習は、新しい痕跡を刻むことであるから、『神経系の可塑性、融通性が必要条件である。その点では、一番未完成な脳をもって生れる人間は。学習の効果が一番あがるわけで
ある。しかし、生後の成長のすべてが学習によって形成されてはいない。遺伝によって、ある程度、形が作られ、働きが発達してくる。これを成熟といい、下等動物では、この性質が強
い。

 学習は、神経系の成熟の基盤の上に発達する。ニワトリのヒナは、卵からかえるとすぐ穀粒をついばみはじめる。けじめのうちは失敗が多いが、練習によって次第に上手になり、四、
五日で一入前になる。そこで、生れてすぐ暗闇で育て、餌は飼育者の手でたべさせることを、一日二日、三日、四日、五日間つづけてから、明るいところで自分でついばませると、曲線
で示してあるように、すぐ追いついてしまう。神経系の成熟が、学習をより受けいれやすくなっているせいである。

 学習には、成熟の過程で行なわれる初期学習と、成熟が完成してから行なう後期学習とがある。前者は、赤ん坊のときの学習で、試行錯誤や条件反射による機械的反復によって形成さ
れる。これに対して、後者は、言葉申概念を利川する大人の学習で、その形成ははやいが、消えさることもはやい。

 記銘されたものはある期間保持されるが、そのうちに忘却する。忘却については、ドイツの心理学者エビングの忘却曲線がある。覚えてから二日目で六六%忘れるが、あとの忘れ方は
ゆっくりしており、一ヵ月後でも七九万の忘却にとどまっている。これは、無意味な綴りで調べたのであるから、すべての記憶にあてはまるとはいえないが、忘却の基本的性質を示して
いる。

 記憶の座 学習を可能にする記銘は、脳のどこで、そして、どんな仕組みで行なわれているのだろうか。

 電す計算機の真空管トランジスタと違って、脳細胞のすべてが、記銘の座になっているといえないこともない。しかし、8と14で述べたように、側頭葉と海馬を中心にした領域が、
特に、記憶の統合作用の領域として分化している。実際に、海馬や側頭葉がこわれると、いろいろの型の記憶障害がおこることが、動物申人間についてたしかめられている。また、側頭
葉の電気刺激で、過去の体験を再現することに成功したペンフィールドの実験や、ネズミの海馬をこわすと、判別能力がわるくなるという条件行動の実験広)、側頭葉や海馬が、記憶率
それに基づく判断の働きに直接関係していることを示している。