内臓を監視する大脳辺縁系

 

        これまでは、視床下部が自律神経系の中枢と考えられていた。ところが近年になって、その上位にある大脳辺縁系が、実は視床下部に統御、調整的に働きかけているこ
とがわかったのである。

 大脳辺縁系と視床下部の線維連絡からも当然考えられることであるが、大脳辺縁系の刺激平破壊によって、自律神経系の支配下の内臓器官の働きに、交感神経性あるいは副交感神経性
の多・彩な変化がおこることが実験的に証明されている。部位とおこる反応との対応関係、すなわち局在の体制は、研究者によって意見が一致していない。おそらく、動物の麻酔条件や
刺激条件などが結果を混乱させているのであろう。

 それはともかくとして、これまでにみられている反応は、瞳孔、血圧、心臓の拍動、呼吸運動、消化管の緊張と運動、立毛筋、瞬膜、汗腺、涙腺、唾液腺そのほかの消化腺の分泌、膀
胱や直腸の運動(排尿、排便)などに対する影響のぼかに、血液の組成にも変化がおこるという。内臓王国に対するこのような多彩な働きかけをみれば、マックリンが、大脳辺縁系を内
臓脳とよんだのも無理もないことである。

 大脳辺縁系では、的の章で述べたように、情動の心が形成されているから、情の動きが、同じ領域で営まれている自律神経系に対する調整作用に影響をおよぼさずにはおかない。情動
の心と内臓工国とはこの大脳辺縁系で交接しているのである。

 セリエによって開拓されたストレス学説にしても、ソ連で提唱されている皮質内臓病理学説にしても、また近年、臨床医学で脚光をあびている精神身体医学にしても、主張の基盤は、
身体と精神の相互関連の仕組みである。そしてこの仕組みが、最近、大脳辺縁系と視床下部との交接という見方で研究が進められていることは、当然のこととはいえ新しい発展が大いに
期待されるわけである。

 「病は気から」という。実は、この気は、ストレスによっておこった大脳辺縁系の乱れであり、歪みであろう。たとえば、サルの視床下部に電極をいれて、電気刺激を毎日くりかえし
ていると、胃や十二指腸に潰瘍が発生するという実験は、大脳辺縁系の歪みや、視床下部の変調が、病気の原因になることを如実に物語っている。

 臨床医学で、交感神経緊張(ジンバティコトニ、)、副交感神経緊張(ワゴトニ、)という表現をよく使う。いわんとする心は、文字通りに、それぞれの活動の高まりである。しかし、実
際の患者について、そのいずれかを判定しようとすると、容易なわざではないのである。ということは、自律神経系の効果器の症状や反応が一義的にでてくれないからである。

 しかし、考えてみると、これは別に不思議なことではない。そのわけは、交感神経と副交感神経の効果が、効果器ではあるいは相殺され、あるいは加重されて現われることと、特に、
副交感神経系は、末端に調節の仕組みがあるために、中枢の働きかけによって、すべての効果器が一色に塗りつぶされないということのためである。このことは、体性神経系の支配によ
る統合の状況と非常に違っている。

 しかし、すくなくとも、中枢の視床下部や調整的に働きかけている大脳辺縁系では、交感神経緊張か副交感神経緊張か、そのどちらかへの傾斜はあるはずである。そして、その傾斜は
視床下部や大脳辺縁系そのもので求むべきであり。またそこでは求められるはずである。

 視床下部については、いろいろ努力されているが、まだ成功していない。ところが幸いなことに、大脳辺縁系の脳波のパタン、特に海馬の脳波パタンが、非常 にはっきりその傾斜を
示してくれるのである。海馬はきわめて特有なパタンをあらわすが、要素波のうちで、徐波(S帯)は交感神経系の活動水準を、速波(T帯)は副交感神経系の活動水準を表示している
ことが、いくだの実験によってたしかめられている。

 従って、この性質を利用すれば、すくなくとも自律神経系の上位中枢の活動水準とその傾斜は、はっきりつかまえられるわけである。すなわち、海馬の脳波のパタン、あるいは分析し
たそれぞれの要素波の消長から、自律中枢の活動の実相がうかがえるわけであって、自律神経系の研究に新しい方法論を提供したといえよう。

     最後に、ホル壬ン王国と脳との関係を簡単にふれておこう。ホルそン王国の総理大臣は下垂体であって、その配下に、甲状腺上皮小体脾臓のラングル(ンス島。副腎皮質
、副腎髄質、構巣、卵巣、胎盤、胃と小腸の粘膜などがある。なお、わすかであるが、ホルモン分泌をしているものに、松果体、胸腺、脾臓がある。

 下垂体がホル壬ン王国を統率しているという意味は、ここから分泌されているホル壬ンのうちで、副腎皮質刺激ホルモン、生殖腺刺激ホルモン(など)のように、ほかの内分泌腺に働
きかけてホルモン分泌を促進させているからである。

 脳のホルモン王国への働きかけは、視床下部’下垂体系によって行なわれている。下垂体は、前葉と後葉にわかれており、後葉は、視床下部視索上核と室旁核などから神経支配をう
け。それによって後葉ホルモンの分泌が調節されている。前葉には神経支配はないが、下垂体門脈系という特別な血管系によって、体液性の支配をうけている。そして、視床下部で作ら
れる未知の物質が、この血管系によって供給され、それによって前葉ホルモンの分泌が調節されてい

 このような視床下部↓下垂体↓ホルモン分泌といったような一方向きの働きかけだけでなく、視床下部は、分泌されたホルモンの血液濃度によって、逆にその働きが調整され、血液中
のホルモン濃度が怛常に保たれているのである。たとえば、血液中の性ホルモン(エストロゲン)の濃度が高まると、視床下部に作用して、下垂体の前葉から分泌される性腺刺激ホルモ
ンの分泌が抑制される。その結果、卵巣から分泌されるエストロゲンが減少するのである。

 そのほか、副腎皮質や甲状腺に対しても、下垂体と同じように、負のフイ、ドバックによる調節の仕組みが働いている。

 ところで、下垂体へ働きかける視床下部は。さらに上位の大脳辺縁系から調節されている。実際に、大脳辺縁系の刺激によって、排卵がおこったり、副腎皮質刺激ホルモンや副腎皮質
ホルモンの分泌が変ったり、あるいは、血糖が変化したりすることがみられている。さらにまた、大脳辺縁系は、おそらく、血液中のいろいろのホルモンによって、その活動水準が変化
させられているのであろう。

 なお、副腎髄質は、交感神経そのものの支配をうけて、アドレナリンやノルアドレナリンの分泌が調節されている。

 以上述べたように、内臓王国もホル壬ン王国も、視床下部を仲だちにして、大脳辺縁系によって監視され統御されているから。この二つの王国は。同盟国みたいなものである。いいか
えると、自律神経系と内分泌とは視床下部でお互いに交接しているわけである。私たちの身体のホメオスタシスが。神経性調節と体液性調節によって維持され保証されているのであるが
、その仕組みに、破綻や齟齬をおこさないのは、二つの調節の仕組みが、視床下部で交接し、しかも、大脳辺縁系で共通な統御と調整をうけているためである。

 ただし、生命活動の仕組みの複雑、微妙、精緻さには驚くのほかはない。